【読書感想文】幼児化する日本は内側から崩壊する

題名に惹かれて、読んでみました。

幼児化する日本は内側から崩壊する(榊原英資)

 

うん。

なんか、アレですよね、なんていうか、なるほど。

 

まあつまり、ようするに、読まなくていいと思う。

つまらん。

 

ああ、官僚ってこういう考え方するんだ、って思いました。

あと官僚ってガキなんだなとも思ってしまいました。

テーマは「幼児化する社会」で、モンペとかクレーマーとかいろんな事象を取り上げて、日本が幼児化しているということについて警告を発しています。

むろん事実に基づいて書かれているから、間違ったことは書かれていません。

でも、全部をとおして、いちいち引っかかるところがありました。

ぼくはいったい、何に引っかかっているのだろう?

これに気がつくのにちょっと時間がかかりましたけど、やっとわかった。

 

このひとは「トップダウン式思考」でものを見ている。

そして「知識偏重」である。

また、理想主義にすぎる、つまり幼稚である。

 

おおきなストラクチャから見た風景からのみで、物事を判断しているのだと思います。

官僚っていうのはそうあるべきだから、それでいいのだとは思います。

でも、それでよくないことがある。

「結局、事実が曲解されている」

社会が幼児化して日本が危ないのなら、じゃあどうすればいいんだというソリューションはとくになく、昔の日本にあった奥ゆかしさや思慮深さ、つまり「大人感覚」が薄れてきていることへの危惧を、ただ散文的に述べただけに過ぎないように見えました。

それはそれで良いのですが、肝心な事象を片方からの視点だけで見ていらっしゃるので、どうにも説得力がないということです。

 

たとえば大学の「AO入試」について、これはアドミッション・オフィス入試といって、学力だけではなく人それぞれの個性を重視して合格を決めるという新しい方式の入試です。

これについて著者さんは否定的で、そんな入試は試験官の主観が入ってしまうから、やはり客観的なペーパーテストのほうが良い、と言っています。

ちがう。

本質は、そこじゃない。

18歳人口がウソみたいに減ってきて、大学はいま瀕死の状態なのですよ。

大学は学生の学費で食っているから、入学者数が減ったら死活問題。いつ倒産したっておかしくない。

だから「大義名分をつけて」門戸を広げる必要性が出てきた。いっぱい学生を確保する必要が出てきた。

それにうってつけだったのが、AO入試だったのです。

あれはつまり、表向きは「グローバリゼーション」で、その本質は「規制緩和」なのです。

ウチは大学らしく、アカデミックな試験をしていますよと見せておいて、そのじつは、青田買い。

こんなの常識なのに、この著者さんは「AO入試には主観が入るからよくない」という。

純情すぎるやろうが!

 

あとiPhoneについての言説には、正直目を疑いましたね。

よく言われるように、iPhoneには画期的な技術はほとんど入っていません。電話とコンピューターという、すでにある技術を組み合わせただけなのです。しかし電話やコンピューターの仕組みを知らないひとにiPhoneは作れません。

ということは、知識の数が多ければ多いほど、組み合わせは幾何級数的に増えるわけです。

だから古今東西、創造力がある人はみんなベースとなる知識の量が多い。したがって創造力をつけるための教育などを考えるよりも、生徒たち、学生たちに知識を詰め込んだほうがいいのです。

 

あたまおかしいんかワレ

 

あっ、ごめんなさい、ウソです。

いやでも、ズレるにしても、ちょっとひどすぎねえか。

なにが「ということは」なのか。

この言説をそのまま裏返せば、知識の量が多ければ、iPhoneを作れたということになる。

ナメとんか。

知識だけなら、日本の企業はおそらく、なーんにも負けていなかった。

むしろ知識だけならNTTとかSONYの技術者さんのほうが断然ウエだったかもしれません。

 

iPhoneが日本で生まれなかったのは、知識の量が問題じゃない。

発想の柔軟性が足りなかったことです。

たしかに知識はガソリンのようなもので、とても大事だ。

でもそれを効率よく燃やせるシステムがなければ、ただのクサい液体で終わってしまうのであります。

これに反省をして、もっと柔軟性のある知的生産性を高めることが、現場で必要になってきた。

なのにこの期に及んで「知識を詰め込め」というのです。

「古今東西、創造力がある人はみんなベースとなる知識の量が多い」これも、あきらかにおかしい。

「知識の多いひとが創造力に長けていることも多い」なら、わかる。

「みんな」って、おかしいじゃないか。

知識の量が少なくても、創造力があるひとは、いくらでもいます。

明らかなる事実誤認がある。

 

だから思った。

この本のテーマである「幼児化」とは、もしかしてこの著者様が、ご本人、自分自身に向けて言っているのではないかと。

この本では「物事を二極分化して捉えるのは幼児化である」と執拗に書いておられるのに、その罠に当のご本人がハマりまくっている。

知識の重要性という、片方の領域からだけで物事を考えている。

 

久々に、なんの参考にもならない本を読んでしまいました。

ただひとつ、わかった気がすることがあります。

「官僚」というひとたちが、どうも世間ズレしている理由。

現場をあまり、しらないのだと思います。

そして、ひとのココロを知らない。

すべてをマクロの視点、かつ、トップダウン式の「構造(ストラクチャ)から末端(ディテール)へ」の思考法の極限から認識しようとしている。

ディテールからストラクチャを逆構成するという視点が、あまりないのだと思います。

よく観察すれば、この世はディテールから全体が構成されていることのほうが圧倒的に多かったりするというのに。

これでは、人民を救えない。

 

この本に対する感想を、一言でいえば、

「雑」

ですね。思考も、視点も、論法も雑だ。

 

トップダウン式思考も重要な視点だけれど、それによって事実が曲解されていたのでは、お話にならない。これなら冗談抜きで、まだ仏典を読んでいる方がマシだ。

仏典のほうが、自己の思考の偏重に気づかせてくれるヒントが圧倒的多いです。

 

 

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