あばたもえくぼ

病気を治そうと思って一生懸命に努力を続けていくと、どんどん人間がクズみたいになっていく。

……っていうことに気がつくのに10年もかかったなあ。

 

「ここが原因ではないか」という「疑い」をもって、あれをやめる、これをやめる。

あるいは逆に、あれをする、これをする。

そういうことを続けていくとこころのなかが「疑い」でいっぱいになってきて、なんでもないことでも不安になっていく。

疑うというのは畢竟「わずかな差異を見出し意味づける」ということで、これはすなわち集中と興奮で、集中と興奮が恒常化すると扁桃体がコーフンする。

扁桃体がコーフンすると呼吸が荒くなってこころのなかは不安だらけになっていくのでありますね。

 

あれがわるいこれがわるいとこころのなかに文句をたくさん持っていると、じぶんが嫌いになっていく。

じぶんが嫌いになると、さらに欠点が気になってくる。

すぐ三日坊主になるのが嫌い、臆病なのが情けない、考えすぎるのが気持ち悪い。

些細なことに敏感なのがきらい、神経質なのがイヤ、体型がきらい。

うまれてからしぬまで絶対に離れることができないじぶん自身にクレームをつけていたら、人生そのものがクズのようであります。

 

じぶんの欠点が許せないのは、主観的にすぎるからである。

ということに気がついたのは、わが家のイヌをぼうっとみていた時です。

柴犬というのはあまり賢いほうではなくて、じゃっかんバカです。

あまり記憶力もよくないから、芸もそんなに覚えません。

でも、それが「いい」のでありますね。

何か悪さをして泣くまでこっぴどく叱りつけても、翌朝には「あははは! おはよーっす!」っていう感じで尻尾をぶるんぶるん振り回して駆け寄ってくる。

これがもし「叱られたことがトラウマ」みたいになってビクビク萎縮して逃げ回るようなイヌだったら、あんまりカワイくない。

いや、まあ、それはそれでカワイイかもしれないけど、なんか可愛そうです。

きのうのイヤなことなんかスパっと忘れて能天気に全力で遊び回っていてこそイヌの真骨頂と思う。

「バカなところが嫌い」とは、一切思わないのですね。

まさにあばたもえくぼ、そのバカなところが、かわいい。

 

うちの娘は子どもの頃、極度の人見知りでした。

知らない大人に出会うと完全にフリーズしてまったく身動きが取れなくなってしまっていました。

そんなのだから当然初対面の人に愛想がよくなくて、心をゆるして普通に話せるようになるのに大変時間がかかるタイプでした。

本人はそのことを少し悩んでいるところもあったかもしれませんが、ぼくは人見知りをする子どもをとても「かわいい」と思うのです。

たしかに初対面の人とでもすぐ打ち解けて仲良くなるフレンドリーな子どもは、かわいいです。

しかし人見知りの子の笑顔には愛想の良い子の笑顔の何百倍もの価値があります。

なかなか打ち解けてくれない子が笑顔を向けてくれたということは、その子は「ほんとうに」心をゆるしてくれたのです。

ほかのだれでもない、ぼくだけに向けてくれた笑顔。

愛想の良い子どもはまるで「ビッチ」のようで、可愛いことは可愛いが、そこには感動がありません。

人見知りの子の笑顔には幾何級数的価値がある。

 

心配性な人というのも客観的に見ればハイレヴェルなコメディです。

「あれっ。家の鍵締め忘れたんじゃないか・・・」

締めたっつうの。

なんで、締めたことをすぐに忘れるの?

ぜったいにダイジョウブなことでも「万が一」「かもしれない」「どうしようどうしよう」とオドオドビクビクしていることについて、いちいち「付き合う」と腹が立ってきます。

でもちょっと距離を置いて観察していると、これはもう笑うしかないのでありますね。

だからこそお笑いのコントなどには病的な心配性の人がよく出てくるのだと思います。

心配性、神経質、臆病、恐怖症、これすべて、愛すべき存在なのです。

ほんとうに危ないことを真剣に心配していても、それは当然なのでぜんぜん面白くないです。

しかし卓越した妄想力で普通のことに最悪の結末を想定できる「空転する高機能」に、思わず笑ってしまうのであります。

かわいい。

 

自分のこともひとごとみたいに見られたら、欠点も可愛くなるかも。

そもそも欠点がない人なんかいないのだし、持っている欠点を笑えたらその人は無敵となる。

じぶんのことをじぶんのこととして見るという利己的な視点に膠着しているがゆえに、それを治そうとか改善しようなどという妄想に憑依されるのかもしれませんね。

治すさんでも、ええっちゅうの。

そこが、かわいいっちゅうの。

欠点のない人なんて、全然かわいくないですし。

 

もしうちのイヌが突然賢くなったら、ぼくはもう散歩なんか連れて行ってやらないぞ。

さんざん散歩をして帰ってきたとき、わがイヌは突如「はっ!」となにかを思い出したような顔をすることがあります。

そしておもむろに両足をふんばり、ムリムリムリっとウンコをするのでありました。

彼はいつもの場所でウンコするのを忘れていたのです。

たまにこういうことをするから、イヌはかわいい。

毎日決まったルートを進み、毎日必ず同じ場所で忘れずウンコするようなイヌならば、それはもうロボットとおなじ。

 

「ダメなじぶん」も、たぶん客観的に見ればまあまあ可愛いのかもしれませんね。

それがわからないのは視点が「主観の溝」にハマって、身動きがとれなくなっているのでしょうね。

失敗こそが、欠点こそが、いきものの真骨頂である。

 

 

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