親父に言われたことがあるんですよね。
「おまえが山登りに行きだしたときは、元気になった証拠だ。」
たしかにそうなのです。
親はやっぱり、よく見てる。
理由はなんであれ、とにかく山に行きだしたら、ぼくは元気になっているサイン。
あまり趣味はないほうなのですが、登山はいちおう趣味といってもいいと思います。
ただ全然、専門的ではないですけどね。
逆に、以下のようなことをしだしたり興味を持ち出したときは、あぶない。
かなり疲れていて、精神的にも参っています。
・ヨガ
・瞑想
・映画、文学、アニメ
・アート的ななにか
・断捨離やミニマリスト
・インテリア
エネルギーが枯渇すると、気持ちが内向的になっていく。
気持ちが内向的になってくると、興味も内向的になっていくようです。
しかしだからといって、山に登れば元気になるかというと、全然そういうことでもないのです。
元気がないときに、無理にそういうことをすると、かえって余計に元気を失っていくこともあります。
あくまでこれは「サイン」なのであって、元気不元気を操作する条件とかではないようです。
山に元気をもらったと感じたこともないし、奪われたと感じたこともないです。
頂上到達で達成感、というのもとくに感じないですし、キレイな景色が見たいだとも、空気が綺麗だとも、リフレッシュしたなあとかも、あまり思いません。
屋外でのメシがウマイとかいうのも、それほど強くは感じない。
山は山だし、メシはメシ。特段感動なんかありゃあしません。
みんなでワイワイもやらない。行くときは、絶対に一人で行く。
途中の渓流で釣りをするとか、温泉をめざすとかも、全然ありません。
ただ登って、ろくすっぽ山上からの景色もながめずに、ただ降りてくる。
なにかオモロいんじゃ。
そう、なーんにも面白くはない。
ということはそれほど山登りが好き、ということでもないのかもしれませんね。
じゃあなんで行くんだと聞かれても、わからんのだけれど。
気色の悪いはなしだけれども「来い」と言われているような気がする。
なんとなく行かねばならないような……そんな義務感ではないんだけど、なんかそんな感じ。
いや、むしろ逆に、これが「好き」っていうことなんでしょうかね。
面白いとも思わないのに、べつに楽しくもなく、気持ちいいと感じるわけでもないです。
めんどくさいといえば、めんどくさい。
なのに元気になったら問答無用で、なぜか山に行ってしまう。
居酒屋でもキャバクラでも旅行でも服屋でも雑貨屋でもカフェでもなく、山奥に足が向かう。
考えてみれば、達成感だの、きれいな景色だの空気だの、アウトドアフードだの、みんなとコミュニケーションを楽しむだの、それは邪道ともいえる。
ただ山に行き、ただ降りてくる。
それで満足してしまうあたり、ある意味においては「ものすごく好き」なのかもしれないです。
さて最近、むしょうに山に行きたいのです。
どこの山にとか、そんなのは特にないけど、なんか行きたい。
目的は特にないのに、なぜか行きたい。
2週間ぶっ倒れたおかげで休養になり、ちょっと元気が戻ってきたのかもしれませんね。
さて、今週末あたり、近所の山にでも久々に登ろうかしら。