仕事とは、サボることと見つけたり。
仕事ができるヒトって、みんなサボり上手なんですよね。
で、健康。
サボるのがうまい人ほど、人生はうまくいってる。
むかし会社に勤めていたときに、それを教えてもらったんですよね。
その会社は激務で有名な会社ではあったんだけど、入社してみたらじつはそうでもなかった。
新人時代、先輩と営業周りに行って愕然としましたね。
「行ってきまーす」といって会社を出て、先輩は近所の喫茶店に入るのです。
「なにか資料の準備でもするのかな」そう思っていたのですが、1時間も2時間も、漫画雑誌を読んだまま動かないのです。
で、ようやく先輩は立ち上がって、
「よし、そろそろ行くか」
「はい!」
電車で数駅行って繁華街の中を歩いていきます。
(こんなところにお客さんあったかな)そう思いながらついていくと、ネオンがビカビカ光るお店の前で先輩が満面の笑み浮かべて言うのでした。
「ここ、すげーいい店なんだぞ!」
その店は、風俗店なのでした。
しっかり風俗で遊んだあと、先輩は言うのでした。
「よし、反省会にいこう」
こんどはその足で居酒屋に行くのでした。
会社には電話をして「商談が長引きましてね〜、このまま直帰しまーす」。
結局先輩と風俗の感想を述べ合いながら酒を飲むという、わけのわからない1日でした。
この先輩が、特別だったのではないです。
みんなそんな感じでした。
夏場なら、甲子園球場に行って野球観戦をしたり、海に泳ぎにいったり。
営業に行くといいながら、みんな遊びに行ってるようなものでした。
そしてそんな先輩方は軒並み年収1,000万超えの優秀セールスマンでした。
なかには、まじめな先輩もいます。
でもそんな先輩は、あんがい売上げてない。夜中遅くまで仕事をしている人に限って、年収は少なかったのです。
「売上が上がっている人は遊べて、売上が上がっていない人は遅くまで仕事しているんだ」
最初はぼくも、そう思っていました。
しかし新人時代を終え、自力で営業をするようになって、理解しました。
結果が出ているから遊んでるんじゃなくて、遊んでいるから結果が出ているんだ。
ようするに、こころの余裕です。
遊ぶ余裕があるからこそ、柔軟な発想も出てくるし、気力も集中力も増す。
遊び呆けていた先輩は、なにも年がら年中遊んでばっかりではないのです。
「ここぞ」というときにはビックリするような集中力と観察眼を発揮して、ばっちり大きな商談を決めてくるのです。
最初は意味がわかりませんでした。
先輩はそういう、特殊能力の持ち主なのではないか、そんなふうにも思いました。
そうではないんですね。
緩があるから急があり、急があるから緩がある。
慢性的にずっとガンバリつづけているような人は、強い集中力や観察力も出ないのです。
ふだんから、ゆるゆるにゆるんで、好きなことばっかりしているからこそ、カンも働き、強い集中力も発揮される。
遊ぶからこそ働けて、働くからこそ休まれる。
先輩の真似をするようになって、ぼくも少し遅れましたが、1000万プレイヤーになれました。
何をしたかと言うと、遊び呆けただけ。
なにも勉強してないし、土日出勤もしていません。
「きょうは何をしてサボろうか」
毎日、そんなことばっかり考えていました。
たぶん「何をしてサボろうか」そう考えることじたいが、脳トレになっていたんじゃないかな、と思います。
仕事のことばっかり考えず、昼間っから飲みに行ったり、おいしい店を探したり、美術館に行ってみたり、図書館で過ごしたり、海に行ったり、ゴルフに行ったり、風俗やキャバクラに行ったり。
多種多様のことが「経験値」になって、ぐるっと回って、仕事の発想の幅が広がるんだと思います。
そしてなにより、「きょうはどう仕事をしようか」と考えるよりも、「きょうは何をして遊ぼうか」と考えるほうが、毎日が楽しいです。
これがまた、モチベーションの維持にもなっていく。
仕事で結果を出したければ、
しっかりサボらなくてはならない。
これは、鉄則だったんですよね。
すっかり忘れていました。
ぼくの神経がおかしいのは、これを忘れてしまったからだと思うんです。
ぼくは、サボることを、サボっていた。
ちゃんとする、まじめにやる、計画的にやる、生産性を高める。
そんなエラソーな、タマシイ不在の、机上の空論にかまけていたのです。
仕事をするのは、わたしである。
それならば、わたし自身がイキイキしていなければなりません。
仕事のことばっかり考えているということは、仕事をしていないのと全く同義なのですね。
遊んでばっかりいるのが、仕事をしているのと同義のように。
さあ、今日は何をしてサボろうか。
そう考えると、あの朝のソワソワが、かなり低減します。
血圧も下がる。
ほんのすこしの、こころの角度の問題だったんですね。
「神経を安定させるために、朝はヨガをしなければならない」
「血圧を低下させるために、塩分を減らさなければならない」
「セロトニンを出すために、散歩やジョギングに行かなければならない」
「副交感神経を優位にするために、呼吸法をしなければならない」
「規則正しい生活を送らなければならない」
こういった考え方はまさに「仕事ができない人」の考え方と、まったく一緒なんですよ。
求めている「健康」に対して「そのまま正面から」対峙している。
そういうことじゃ、いつまでも変わらないんだよな。
求めているものがあったなら「裏側」からも攻めなくちゃダメだ。
正面玄関からの訪問だけで答えが得られると思ったら、大間違いだ。人生ナメすぎだ。
「真理は隠れている」し「狭き門から入る」べきなのです。
サボるからこそ、成果は出る。
これは鉄板だ。
「こんなにサボっていて大丈夫だろうか」
そんなことを考えているうちは、まだまだ甘い。修行が足らん。
仕事は、仕事じゃないんです。
サボることが、仕事なのです。
ちゃんとしなさい。
まじめにしなさい。
計画的にやりなさい。
集中しなさい。
努力しなさい。
おとなしくしなさい。
時間をまもりなさい。
先のことを考えなさい。
みんなとなかよくしなさい。
ひとにめいわくをかけるな。
そういうことを、ぼくたちに言ってきたひとたちがどういう種類のひとだったか、思い出すがいい。
しょうもない人ほど、そういうことを言うのです。
しょうもない人の言うことなんか、聞かなくてよろしい。
いろんな経験をして、ちゃんと苦労して、ちゃんと仕事して、きっちり成果を上げてきたひとは、そんなことは絶対に言わないです。
しっかり遊べ、といいます。
当然だ。
人間は「はたらくいきもの」じゃなくて「あそぶいきもの」だからです。
知能の高い生物ほど、よく遊ぶのです。