ぼくはもともと、こんな人が大嫌いでした。
・神経質。
・デリケート。
・理屈っぽい。
・心配性。
・逃げ腰。
・言い訳がましい。
・ずるい。
・気が弱い。
・声が小さい。
細かいことをぐちゃぐちゃ言うやつは、ぶん殴ってやろうかと思うぐらい嫌いだった。
しかしその後、ぼくはパニック障害になり、自律神経失調症になって、びっくりしました。
ぼくは、ぼくがいちばん嫌いな人になっていった。
じぶんの体調に神経質で、いつ発作がでるかどうかおどおどして、理屈っぽいことを言い、書き、ネットでいろいろ調べて心配する。
どこかに行きたいと思っても、発作が出たらいやだと言って逃げ腰になる。
しまいにはブログにアフィリエイトとか仕込もうかと考え出したりして、それでちょっとは儲けられないかとか考えたりして、ほんまにしょうもない人間になった。
そして、しまいには「パニックを患ったおかげで、気の弱い人の気持もわかるようになった。これも勉強なのだ」とか言い出した。
じゃかましいわ。
そういう考え方じたいが、もうすでに「言い訳」「正当化」なんですよね。
気の弱いやつが考えそうなことだ。
気の弱い、繊細なやつは嫌いだけど、でも攻撃したり、卑下したりは、もともと絶対にしなかった。
だから勉強なんてする必要なかったんだ。
そういう人をけなし、差別することじたいが、気の弱いやつがすることだ。
いじめっ子なんかが、まさにそうです。
「弱いやつをいじめて、じぶんの座標の優位性を確認する」
「だれかを困らせて、そのさまを眺めてストレスを発散する」
こういうのは、完全に「弱いやつ」がすることなのです。
強いやつは、ぜったいに人をいじめたりなんかしない。
じぶんがやっていることをすこしだけ引いて眺めて、じぶんがいまどういうことを感じているかを観察したら、いっぱつでわかるはずだ。
いじめっ子の心は、いじめられっ子の心よりも、もっと矮小繊細で卑劣で気の弱い状態にあるのです。
そういうことに気が付かない愚鈍さもまた、嫌いなポイントなんだ。
バカで、弱い。
きらいだな! そんなやつは!
同じ理由で、人種差別的なことで、韓国人がー、中国人がー、ぎゃんぎゃん言うやつも大きらいだ。
なにかを差別することでじぶんのアイデンティティーを強固にしたいと考えている、その浅ましい考え方がきらいだ。
「◯◯さんという知り合いの韓国人が嫌いだ」なら、まだわかる。ありうる。
しかし「韓国人全体が嫌い」だとか、汎化するにもホドがあるだろう。お前はいったい、韓国人全体の何を知っているというのだ。
韓国人にも中国人にも、エエやつはおる。
差別主義者は原理的なバカだから、大きらいだ。
気の弱い、繊細で、気のやさしい、理屈っぽい、臆病な人間を、好きになる必要はない。
擁護する必要もない。
理解する必要もない。
意図的に攻撃しなければ、それでいい。
助けてあげることができたら、もちろんそれもいい。
しかし、馴れ合うべきではない。同調すべきではない。
はっきりと、明確に、そう思うようになった。
ある意味「ぼく」が帰ってきたかもしれないです。
もしかすると、禁酒をすることで、肝臓が元気になったからかもしれないなあ。
「アタマのぼく」に「内臓のぼく」が、ずっと負けていたんだ。
内臓が元気になってきたら、アタマとハラのチカラ関係が逆転しはじめたかもしれないです。
じぶんが気弱になっていたから、気弱系のヒトにシンパシーを感じていたのだと思う。
傷のナメ合いみたいに。
ぼくがずっとイライラしていたのには、理由があったんだな。
対象は仕事でも、社会でも、人でも、人生でもなかった。
ボクはボク自身に、イライラしていたんだと思う。
昔から大嫌いな、気の弱い、繊細で、神経質で、女々しい、気のやさしい、理屈っぽい、臆病な人間になってしまった自分に、怒っていた。
じぶんのなかに、じぶんが大嫌いなタイプが侵入してきたから、必死で排除しようとしていたんだ。
たぶん。