定期的に、ボーズ頭になるのです。
今日また、さっぱりとボーズ頭になりました。
だいぶマシにはなってきましたけど、パニック障害から外出恐怖症になっているんですよね。
だから美容室なんてトンデモないです。
スーパーや電車・バスも苦手ですけど、よく考えたら美容室がいちばん苦手かもしれないです。
美容室で発作を起こしたことも、数知れず。
美容師さんじたいは全然嫌いじゃないけど、あの空間は大嫌いです。
椅子に縛り付けられ、背後から刃物を持ってウスラ笑いを浮かべたヤツがにじり寄ってくるなど、どこのホラーやっちゅうねん。
床屋だったらカミソリとか持ってますからね。
発作云々はさておいて、もともとあんまり好きじゃないです。
ボーズにする前は、毎回いろいろと悩むのですよね。
いくらあまり人に会わない商売だからといって、ボーズはちょっとやりすぎなんじゃなかろーか。
なんか急にボーズにしたら、悩み事でもあるんじゃないかとか、思われるんじゃないか。
似合わなかったらいやだなあ。
などなど。
でもやってしまったら、毎回同じことを思います。
「心配なんか、ぜんぶ無意味だったな。」
じつは、人様ってあんがい、じぶんのこと見てないんですよね。
まあ最初こそ「どしたの!?」って言われることはあります。
でもみんな、じぶんのことでせいいっぱいなんですよ。
だからぼくがボーズにしたことは、正直そこまでの関心事ではないのです。
見た瞬間、ちょっと驚くぐらいなものです。
ましてやすれ違う見も知らぬヒトや、コンビニやスーパーで出会う人なんか、まったく関心ありません。
「あ。ボーズ頭のヒトだ。」
なんとなくそう思って、それでおしまい。
みんな、じぶんのことでせいいっぱいなんです。
だからいつも思うんですよね。
「ボーズ頭にしようかどうかで悩んでいるのは、自意識過剰のひとつだな。」
って。
似合う、似合わないを考えるのも、これもあんま関係ないですわ。
高校野球の選手たちをみて「この子はボーズが似合わないなあ」とかは、ふつう思わないです。
似合う似合わないを考えていることじたいも、自意識過剰の一種なんですよね。
ほんとにもー、ボーズって、ラク!
電動バリカン発明したひとは、表彰してあげてほしいな。
風呂場で全裸になってバババババと刈って、ついでにシャワー浴びて、はいおしまい。
シャンプーもリンスもいらん、お湯も少なくてすんで、エコロジカルです。
風呂上がりにドライヤーなんか絶対にいらんから、デンキ代もかかりません。
寝癖もつくわけねーし。
オシャレしたかったら、帽子という手がある。
ていうか、ボーズ頭って、帽子がよく似合うんですよね。
そういえば、まあこれは都市伝説的なアレかもしれないけど「頭髪は第六感のセンサーである」というのがあるようです。
これは、ぼくが通っていたヨガ教室でも先生から聞いたことがあります。
頭髪や髭は切ってはいけない、っていう流派でした。
ベトナム戦争のとき、長髪のインディアンの方の生存率が半端なく高かったそうなんですね。
また、敵の位置がレーダーなんか使わなくても感知できる人が多かったらしい。
短髪のインディアンと長髪のインディアンで比較したら、圧倒的に長髪の人のほうが直感能力が高かった、という話でした。
まあぼくは、この件は半信半疑ではあります。
ただ、猫やイヌでもヒゲはセンサーでもありますし、体毛もセンサーの役割を果たしているようです。
人間にとって、頭髪はセンサーの一種であるということは、あながち否定できないかもしれないですね。
でももしそうだったとしたら、ぼくにとっては、坊主のほうが良いのかもしれません。
もともとわりと神経過敏なところがあって、些細な刺激でも感じてしまうところがあるのですよね。
だからセンサーを切り落としてしまうというのは、ストレスのカットオフということでも、いいのかもしれません。
うつ病を患ったひとは、坊主頭にすることがけっこう多いという話もあります。
もしかすると、さまざまな刺激を受けることを回避するために本能的に切ってしまう、というのもあるのかもしれませんね。
各種神経症は、病理的にはいろいろありますけれども、殆どの場合は脳疲労なんだそうです。
ボーズ頭にするといつも感じるのですけど、なんか妙に明るくなるんですよね。
なんか吹っ切れたというか、憑き物が落ちたというか。
そして、なぜかあまり細かいことを考えなくなります。
脳を休めるために、いろんな刺激を受けないよう、頭髪を切りおとしてしまう。
そんな行動原理も、なくはないのかな、と思ったりもします。
まあほとんどは「あたまが軽くなった」っていう気持ちよさかな、とは思いますけど。