ぼくはいま、反省をしています。
さきほど忽然と、気がついたのです。
ぼくはストレスを抱えている
それがなんなのか、っていうのは、まだ判然としないのです。
しかしそう気づけたことじたいは、ぼくとしてはかなり驚きです。
パニック障害から広場恐怖症になり、さいきんは自律神経の調子もいまいちで、症状から男性更年期障害かな、と思ったりしていました。
なにせ外出自体がままならないので、病院にすらいけません。
病院に行けないことによって、さらに心配が加速したりすることもあります。
さまざまな症状については、みんなよってたかって、ストレスだ、ストレスだというのです。
しかしぼくには、とくに思い当たるストレスがないのです。
だから先生も本もネットも、みんないい加減なことをいいやがる、と思っていました。
たぶん原因がわからないことを、「ストレス」という便利なコトバでケムに巻いているんだ、そうにちがいない、とも思っていました。
しかし、この考え方じたいが、究極の主観だった。
そのことにまず、気がついたのです。
「わたしはとくにストレスないと感じている」という、じぶんの感覚をいっさい曲げようとしない。
自分が感じていることをゼッタイだ、と思い込んでしまうのです。
ぼくわりと女性に多い病気をよく患うのも、これが原因かもしれません。
女性はじぶんの感覚や思考を絶対的なものとして位置づける思考のクセのようなものが、男性より強い傾向にあるのだそうです。
もちろんこれは悪いことではなくて、だからこそ直感力や創造力が高くなることもあって、必ずしも欠点ということではないのだそうです。
しかし強すぎる主観傾向は、ボタンをかけちがえると、どんどんヘンな方向に行ってしまいます。
両親は健在で、娘も元気で学業も優秀、ぼくはパニック障害というヘンな病気を患いながらも、お客さんなどに恵まれて、外出をしなくても仕事ができて食っていけるという恵まれた環境にあります。
客観的に見て、すくなくともぼくは、不幸とはいえないし、恵まれていないとはいえません。
とても恵まれている、といっても過言ではないと思うのです。
だからこそ、こう思うのです。
「こんなに恵まれているぼくが、ストレスを抱えているわけなどない」
ちがう!
恵まれていることと、ストレスがないことは、必ずしも同一ではないのですよね。
大金持ちは全員悩みがないかと言うと、そんなことはないというのと同じです。
貧乏な人が全員不幸かというと、そうとは限らないのと一緒です。
恵まれている、ツイているということと、ストレスを抱えているかいないかは、まったくの別問題だ。
・動悸がする、脈が速い
・舌に歯型がついている
・少し動くと息切れがする
・胸が締め付けられるような感じがすることがある
・息苦しく、空気が薄いような気がすることがある
・立ちくらみや、めまいがする
・肩や背中が凝っている
・もともと好きなことにも、あまり興味を持てなくなった
・冷や汗が出るくせに、手足が冷えることが多い
・頭痛がすることがある
・鼻が詰まることがある
・喉が渇く
・のどがイガイガすることがある
・些細なことや、原因なくイライラすることがある
このような症状は、たしかに男性更年期障害に合致するところはあります。
また、自律神経失調症の症状とも合致します。
上記のような症状は、現代の医学では「ストレスが溜まっている兆候」とみなすのです。
ぼくは、この診断を、ガン無視しました。
そんなわけ、なかろーも! と。
自覚していないから、ストレスなんか無いんだ、と思い込んでいたのです。
ぼくの「ややこしさ」は、ここにある!
忽然と、気がついたのでした。
ストレスがあるのに、それにほとんど気が付かない。
気づいたとしても、それを否定してしまう。
もともと愚痴がすくなく、忍耐力があり、前向きに考えるクセがあるという、どちらかといえば良い傾向のことが、ぎゃくに災いしたともいえます。
ぼくはやはり、ストレスを抱えているのだ。
客観的に見て、これはまず、間違いがなさそうです。
しかしその対象が何なのか、ということはまだ判然としていません。
おそらくは、ものの考え方のようなものが関係しているような気はしていますが……。
ぼくはこれから、「じぶんが抱えているストレスの原因」を探す旅に出ます。
我を知り、彼を知れば、百戦危うからず。
まずは「じぶんの状態」を正確に知ることが、必要ですね。
これをせず、主観と理屈ばっかりで考えていたら、即座に魔道に落ちてしまう。
ぼくはこの罠に、まんまとハマっていたのでした。