坐禅をするようになってよかったな、と思うのは、「じぶんがいかに猫背であったか」ということを、はっきりと自覚できたことです。
しかし坐禅をしかたらといって、すぐに姿勢がよくなるわけでもなさそうです。
これは、だいぶかかりそうだなあ。
「腕を前に伸ばして出すクセ」があるんでしょうね。
そういえば、居酒屋でみんなでお酒を飲んでいて気がついたこともあります。
ふつうはビールのジョッキは、テーブルの手前のほうにあると思います。
しかしぼくは、ジョッキが徐々に前に出ていきます。
そしていつしか向かい側に座っているひとのエリアにまでビールジョッキが移動していくのです。
しまいには、向かい側のひとが自分のだと思ってぼくのビールを飲んでしまうこともしばしばでした。
どんどん、どんどん前に、ものを押し出していってしまうんですね。
たぶん、前のめりになって、肩が丸まってしまっているのだと思います。
またいっぽうで、デスクワークのばあいは、どんどん机から離れていってしまう、というのもあります。
ほんとうは、もっと前へ出たいのです。
しかし机やパソコンは固定されていますから、当然動きません。
結果相対的に、ぼくのほうが後ろに下がっていってしまうのです。
椅子にコロがついているのもあって、どんどん後ろに動いていってしまう。
そうなると当然「うつ伏せ」みたいな姿勢になって、背中や首に負荷がかかります。
「食ってかかる」
ということばが、思い浮かびます。
さすがに、人に対してはそうはしませんが、ぼくはどうも対象とするものごとにそのような姿勢で挑むくせがあるように思います。
仕事でも、勉強でも、読書でも、趣味でも、「食ってかかる」ことが多いような。
なのでいろいろ早いし、効果も上がりやすいいっぽうで、「飽きやすい」という欠点もあります。
食って掛かる、がぶり四つでいく、覆いかぶさる、押し切る、押し通る。
なんかそういう性格のようなことが、姿勢にも影響しているような気がしてきました。
受け止める、引き受ける、待ち伏せる、捧げ持つ、一歩引く、そういうことがどうも、苦手なようです。
こんな性格が、重心にもあらわれている気がします。
あるいは逆に、重心のクセのせいでそのような性格になっている、というのもあるのかもしれません。
前にどんどん出ていって、顔もどんどん出ていって、アタマが重心線から大きくハズレて、前に飛び出していく。
そうなると首や首の付根、背中や肩に大きな負荷がかかってきます。
そのせいで、息苦しくなったり、耳鳴りがしたり、自律神経がおかしくなっていく、みたいな。
食ってかかると、胸が閉じていってしまうんですよね。
霊主体従ともいうし、まずは精神的なところから「中道」を意識したほうがいいかもしれないですね。
前へ前へもいいけれど、たまには一歩、引いてみる、待ってみる、ながめてみる。
そういうくせを、つけていきたいと思います。