「自律神経」というのは「自立神経」なのではないか。
自律神経の不調があるというのは、「自分を律する」ことができていないのではないか。
ヨガを習う。
ネットでいろんな情報を探す。
人が良いと主張するものを探し、行う。
本を読み漁る。
治す「方法」を探し回る。
自分を治してくれる手段が「どこかにある」と期待している。
それこそが「自立できていない」のかもしれないよなあ。
だから、あれが効いた、これは効かなかった、そんなことばっかり考えているのかもしれない。
なんだ、ぼくは、チェックマシーンか、デバッガーか?
自分自身では、けっこう自立的、自律的だと思っていました。
でもほんとうは、そうじゃなかった。
結局、どこからか仕入れた情報を試しているに過ぎなくて、仕入れた情報をじぶんなりに解釈したり、そこから新理論を導き出したりすることさえしていない。
ぜんぶ、ひとの主張に頼って、それをなぞっているだけだ。
ぼくがしているのは、それに対する「評価」だけ。
これじゃないのか。
こういう姿勢こそが、軸のない姿勢こそが、自律神経が自立できず、フラッフラで、すぐに影響を受ける根本原因なんじゃないのか。
ぼくという存在は、この世に1人しかいないのです。
だから、ぼくの道も、たったひとつしかない。
その道は、本のなかにも、ネットにも、会社にも、学校にも、病院にもない。
完全、オリジナルなんだ。
自立しよう。自律しよう。独創しよう。
ぼくの前に道はない、ぼくの後ろに道はできる、といいます。
もういい加減、調べるのも、読むのも、習うのもやめよう。
ぼくは、ぼくを見て、じぶんで考える。
ぼくに合う方法は、じぶんでつくる、じぶんで編み出す。
もう、情報に頼るのは、やめだ。
すべての情報は、参考にすぎない。
参考程度のものに、支配されるな。