パニック障害やウツ、自律神経失調症になるひとは、けっこう長男長女に多いらしいです。
責任感が強く、自立心が強く、面倒見よく、常識がある。
そういう人って、あるいみ「ええやつ」なんですけれども、なぜかアタマがオカシくなってしまうことも多いそうなのですね。
病気というのは、もちろん例外もありますが原則「摂理に反している」から起こるものなんだそうです。
自然な流れに合致していなくて、どこかに無理がかかっている。
甘えない人たち、というのがあると思うんですね。
なんでも自分ひとりでやろうとする。
頼られるのはよしとしても、人に頼ることは、よしとしない。
誰かに迷惑をかけることを、極端に恐れる。
ぼくは最近、パニック発作っていうのは「自立心の膿」ではないか、と思うことがあります。
ちゃんとしよう、自立しよう、スタンドアローンを貫こう、独自性を守ろうという強いこころが心身に負担をかけて、暴走しているような。
「人を頼らず、なんでも一人でできなくては、生きていけない。」
「人に迷惑をかけてはいけない。」
そんな価値観が、ぼくにはあります。
しかしオッサンになって、あるていど人生経験を重ねて来た結果、気がついたんですよね。
これ、むしろ「逆」だった。
ていうか、よくもまあちょうどうまいこと「真逆」を行ったものだなあと、我ながら感心します。
ほんとうは、
「人を頼らず、なんでも一人でやっていたら、生きていけない。」
「人に迷惑をかけずには、生きてはいけない。」
だったんですよね。
ほんと、よくもあ、きっちり逆を行ったものです。
すげえな。
ぼくの両親は、そういうことをずっと言っていました。
ぼくは一人っ子だったので、甘えん坊にならないように、とくに厳しく育てたと言っていました。
なんでも一人でできるように。
人様に迷惑をかけないように。
まるで口癖のように、言っていました。
しかし結局、この志向性のせいで、「膿」が出てしまったのです。
SOSサインを出すまでに、非常に時間がかかる。
つい、無理をしてしまう。
逃げる、という選択肢がない。
うまくいかないときは、ぜんぶ自分のせいにする。
これはつまり「摂理に反している」のです。
ひとは、ひとりでは、生きていけない。
この至極当然のコトワリを、思いっきり無視している。
あるいみ、ひとりよがりのファンタジーの中で生きていたのです。
甘えてはいけない、人を頼ってはいけない、なんでも自力でできなくてはならない。
そんなことをいっしょうけんめい守ってきたくせに、パニック障害とかになって、盛大に人に迷惑をかけてやんの。
一人でなんにもできなくなってしまってやんの。
つまりこれは「矯正」だと思うんですよね。
膿を出して、「ちゃんと甘える機能」を、復活させようとしているのではないか。
この人の世の実相は「頼り・頼られる」ことでやっとはじめて、うまく稼働するようにできていたのでした。
そういう仕組みに、なっていた。
だから「甘えるのが苦手」「甘えるのが下手」というのは言葉は悪いけど、一種のカタワなんですよね。
決定的な部分が、欠落している。
運動が苦手、ひとと会話するのが苦手、のほうがまだずいぶんマシです。
甘えベタのひとは「なんでもできる」人が多いのですよね。
どんなことでも、平均近くか、それ以上にできる。
コミュニケーションもうまく、常識力が高く、器用で、しっかりしていて、頼られる。
そりゃあ、そうですよね。
そういうふうに、生きてきんだから。
そうしないといけない、と思って頑張ってきたから。
肝心な部分の欠落を「テクニック」で補っていったのです。
つまりは、小手先だ。
そりゃあ、いつまでも続かないですよね。あたりまえだ。
だからある日、ドカーンと壊れた。
摂理に合っていなかったのです。
パニック発作が出ている最中は、「椅子にゆったりともたれる」なんてことは、できません。
ベッドにゆったり横たわる、ということさえもできません。
立ち上がり、そわそわと歩き回ったり、座っても浅く腰掛けて、じっとしていられない。
これはつまり、
「重力にさえも、甘えられない」
のです。
「どうあっても、自立しよう」とするのです。
ほんとうは、こんなふうになってしまったら、思いっきり重力ぐらいには甘えて、からだを背もたれやベッドにゆだねて、ゆったりするほうが良いのです。
でも、できない。
「自立機能が、暴走中」なのですね。
重力にすら、大地にすら、地球にすら、もう甘えられなくなった。
だから思うのです。
「パニック発作は、自立心の膿である」
と。
こういった病気を治すには、結局「甘えるこころ」をこころの押し入れから出してくることなんだろうな、と思います。
あまり使っていないから、ホコリがかぶって、ちょっと錆びついているかもしれないけど、甘える心は人間にとって「最大・最重要機能」なので、動くことは動くと思う。アブラを差せば。
拒絶心が強いのは、甘えるこころを失ったからなんですよね。
ほんとうは、もっともっと、人に甘えてよかった。
迷惑をかけてもよかった。
もしやりすぎたら、ふつうはちゃんと、怒ってくれるのですよね。
いいかげんにしろ、と。
怒られるのがイヤだから、もういっさい、迷惑をかけない。
その志向性事態が、もう「拒絶」なんですよね。
摂理を、拒絶している。
厳しすぎる親、責任を追求される機会が多い、脅迫過多。
そういう環境で幼少時代を過ごすと「甘えない人」「自立心の強い人」になっていくんだそうです。
固くて強そうで、でもじつはとても脆い、ガラスのような人になっていく。
三つ子の魂百まで、なかなかその性格は治りそうもないですけれど、気づけばチャンスはあるかもしれませんね。
もっと人には、甘えていい。
すくなくとも、この大地には、重力には、思いっきり甘えてかまわない。
世界のほとんどの文化圏で、大地は「母」です。
おかあさんには、甘えて育って、はじめて人は「ひと」になる。