オウッ!
イェイッ!
と、思わず叫びたくなるほど今日は良いことがありました。
近所のコンビニで買い物ができた。
オッサンがなにゆってんの?
「はじめてのおつかい」じゃあるまいし・・・
でありますけれども、ずっと外出恐怖でコンビニなんて行けなかったのであります。
じつは一時期ジョギングを開始したことで異様に調子がよくなり、ほぼ治った感じがあったのですが、なぜかある日とつぜんダメになってしまって・・・いやむしろ前よりひどくなったことがあります。
それ以来外出は散歩だけで、スーパーやコンビニには一切行けなくなってしまっていたのでした。
いや、スーパーやコンビニだけではなく「目的行動」じたいができなくなった。
散歩なら行けるのに、ポストに請求書を出しに行く、自販機にタバコを買いに行くというのでさえできなくなった時期がありました。
とにかくなにか目的を持った瞬間に、到達ができなくなってしまう。
目的地に向かう途中で動悸がしたり息苦しくなったりして恐怖に支配され、とうとう進退窮まる。
この理由はかんたんです。
無理をしたからです。
「治したい!」という願望が強いあまり、徐々に慣れていくとかリハビリをするかという「ていねいな観念」がすっぽりと抜けていた。
とにかく急いだ。
急いだらいかん病気なのに、急いだのです。
またジョギングをするとテンションが上がりますね。
このテンションで「ごまかして」いたところもあったのです。
これもよくなかった。
根本的なところを改善せずとりあえず薬物で散らしていたようなものだったのです。
無理と、ごまかし。
これは一時的には強い効力を持つこともありますが長続きせず、場合によっては悪化させることもある。
勉強になりました。
さておき、こうして外出がだいぶできるようになって、あまつさえ苦手なスーパーやコンビニに突入できたのは「靴のおかげ」もあります。
じつは一年ほど前、登山を再開しようかと思って登山靴を買っていました。
しかしその後恐怖症が急激に悪化し、結局ほとんど履かないまま下駄箱で眠っていました。
今回はその靴を引っ張りだしてきて歩きまわっています。
わがイヌもお気に入りのようで、なぜか左足だけよくペロペロとナメます。
やめんか! 腹壊すぞ!
つまり最近本気で登山にいこうかなと思い始めた、ということです。
登山靴というのは絶対に「慣らし」が必要で、それをせずに急に山に登ると十中八久靴ずれで足がボロボロになります。
とくに今回の靴は本革なのでとても硬く、慣れないまま山を登ると足がうまく使えずにすっ転んで怪我する場合もある。
靴を慣らすというよりは「じぶんと靴とを一体化させる」まで履き込むほうがいい。
そのためには相当な距離を歩く必要があり、距離だけでなく階段や坂、オフロードでも歩き回らねばなりません。
幸いぼくが住んでいるところは神戸の山の中腹みたいな土地だから、うそみたいな坂、うそみたいな階段ばかりで慣らし歩行には事欠きません。
「治す」ことが目的ではなく「靴をなじませる」ために歩き回ったのです。
意識が自然と「足」に向かう。
これがよかったのかもしれません。
あっちへ行こうか、こっちへいこうか、どうしようか、なにをしようか、なにを考えようか、呼吸をどうしようか、ではない。
ただただ足とクツの感覚だけに集中して歩き回る。
いわば一種のマインドフルネスといえるかもしれなくて、だからよけいなことを考えないでかなりの時間歩き回ることができました。
すると当然体力や心肺機能も復活してきて、恐怖や心配というのも徐々に減っていった。
それに靴が足になじんでくるほどに「山が近づいてきた」感じもします。
現実感が強くなってくる。
わくわくする。
そんなことで、外出という行動への恐怖感が少しづつ、少しづつ減っていった。
この「少しずつ」が、とっても大事なことなんですね。
「一気に」
「一発で」
「速く」
「最高効率で」
どうしても、これを望んででしまう。
でも実際には、すぐにできるようになったことは、すぐにできなくなってしまうのです。
すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる。
しかし少しずつできるようになったことは、できなくなるのも、少しずつ。
すぐには役立たなかったことのほうが、いがいと長い間重宝する。
そんなことはけっこう多い。
一目惚れよりも出会いは最悪だったほうが長く付き合えるのと、すこし似ていますね。
少しずつ、少しずつ。
もう、急ぐのはやめよう。
いくら急いだって、すぐに戻ってしまうのなら、最初から何もしないほうがまだマシだ。
何かを目指すのなら、かたつむりのように、かめのように、じわじわと、でも確実に進んでいこう。
これ
てらちゃんの記事から リンク飛んだりした
なにかだっけ …
よく 覚えていないのだけど
さっき アマゾンから 【読書履歴にもとづくおすすめ】ってので 来てた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M0QRJ3S?pd_rd_i=B01M0QRJ3S&pd_rd_w=eJn26&pf_rd_p=d1eae788-83b7-4ac0-9783-52def8d0dcff&pf_rd_r=0ce80a4c-d3be-4c1f-ab73-eb33622adc5a&pd_rd_r=0ce80a4c-d3be-4c1f-ab73-eb33622adc5a&pd_rd_wg=BcsYW&ref_=pe_10259812_389463912_ssub
著者の紹介に 「パニック症候群」て
あったもので なんとなく。˘ ˘ゝ
おおきな 果実は そだつのに 時間がかかる。
ゆっくり。
めざして
いきましょう。
(_ _)*
これまた面白そうな本を、ご紹介ありがとうございます。
「地球上で最も幸せな男」なのに、若いときはパニック障害だったとは・・・
幸いAmazonLimitedで無料で読めるので、さっそく読んでみます。
そういえばチベット仏教の修行はそれはもう「えげつない」と、チベットのお坊さんに聞いたことがあります。
一歩間違えたらマジで死ぬようなことがとても多いんだそうで。
「うんこまみれで、うんこまみれの部屋で何ヶ月も暮らす」なんていう常軌を逸したものもあるんだそうです。
仏教は寒い地方に行けば行くほど、修行も厳しくなるようですね。
いつもコメントありがとうございます。
うんこのなかに 蓮も 咲く
なんか いまさっき
そんな うかんだので
言ってみた …
(_ _)*
いやほんとに、そういう意図もあるらしいですよ。
清潔とか安全とかいう煩悩を捨てて、汚れたもののなかにも真理が潜んでいるということを悟るための修行なんだそうです。
チベットのお坊さんは、
「あなたたち日本人には絶対に無理でしょうけどね、あはははは」
と笑っていました。
無理だ。