コロナ自粛。
「ぼく一人ぐらい、ダイジョウブだ」っていう考え方は、よくないんですよね。
みんな我慢しているんだもの。
いっしょうけんめいに頑張ってくれている医療関係の皆様のためにも、あるいは今お客さんが減って困っている飲食・接客業の皆様のためにも、まずは感染者数を減らしていかないといけない。
経済復興とかいうのは、そのあとのことだ。
いまはよけいな外出は控えて、じっとしていよう!
いまはぐっと、我慢の子なのだ!
朝起きたら家をさっと掃除して、朝ごはんをたべる。
人通りの少ない道を選んで散歩をしてから、在宅ワークで仕事にとりかかる。
打ち合わせは当然、電話やZoomで。
昼食ももちろん自炊。
夕方ごろ、仕事が終わったら、Netflixで映画を観る。
夕食をとり、お風呂に入り、軽く読書。
家でじっとしているとストレスがたまるから、寝る前にヨガをしたり、座禅をしたり。
うん、ヨシ、「自粛」してるなあ俺!
そんな日々。
うんうん、えらいなあ、俺!
そうやってぼくは自分を褒めたりしてたんだけど、
あっ…………。
ふと、気がついてしまった。
ガバと立ち上がり、思わず持っていた鉛筆を取り落した。
愕然とし、呆然とした。
呆然のため突如老眼となり、窓から見える青い山頂を遠く眺めた。
いつもどおりじゃねえか
はううっ。
これ、おれの「日常」そのままじゃん。
なんにも変わってないじゃん、変えてないじゃん。
何年も前から、このままじゃん!
ぼくの日常って、みんなの「自粛」だったのか。
呆然を経て、悄然とした。
ふぇえん。
なんか……カナシクなってきた。
じつをいうと、おかしいなあとは思っていたのです。
テレビや新聞やネットでは、毎日毎日、コロナの話でもちきりです。
日本どうなるんだ、世界どうなるんだ、どーすんだこれ、どーなっちまうんだ。
マジでヤバいぞ。
なのにぼくは、正直にいうと、あまり現実感がなかった。
たまにふと、思うことさえあった。
「ほんとうはコロナなんて流行ってないんじゃないかな」
いやいや、そんなわけはあるまい。
じゃあこの新聞の見出しは、なんなんだ。
おかしい、ぼくのこの現実感のなさは、なんなんだ。
ずっと在宅ワークで、そもそも外出じたいほとんどしないし、昨年からはお酒もやめてしまって飲みに行くことも一切なくなった。
買い物はずっと前から、ほとんどAmazon。
花見にも、海水浴にも、旅行とかにもいっさい行ってません。
なにも変わっていない。
ぼくの日常は、ほとんどまったく、変わっていない。
ただの日常、いつもの日常、なにも変わらない日常。
ぼくは2年前にもう、「切り離されていた」。
なんか、妙にカナシイような気もする。
でも、まあ、だからこそ今回ほとんどまったく精神的に影響を受けていないともいえる。
ただすなおに、春のあたたかい風と陽気を感じている。
いいね (o^-‘)b
って。
わたしは
おもいましたけど ね。
(_ _)*
ええ、まあ、いいんですけどね・・・
でもなんていうか、「みんなと苦楽をともにしていない」っていうところに、カナシミを感じました。
切り離されて被害を被っていないのは幸いだけど、幸いなのはボクであって、困っているひともいる。
困っている人のツラさをダイレクトに感じられないいまの立場に、カナシサをおぼえました。
溺れているひとを たすけられるのは
溺れていないひと だけかもしれない。
出来ること
やっていきましょう
ただ それだけ
(_ _)
ですよね~。
詳細は書けませんけど、さっそく動くことにしました。
そしたら協力者があらわれて、わりと面白いことができそうです。