パニック障害から外出恐怖症になって、ぼくは2年前から自主的に「自粛モード」でした。
自粛しているつもりはなかったけど、お手本的な自粛になってた。
だからヘンなはなし、幸いだなあとは思ったのです。
2年間「自粛の練習」をしていたようなものだから、なんにも生活は変わっていない。
自粛モードになったからといってストレスが増えたということもない。
なにも変わっていない。
今後の経済の変化によって影響を受けるかもだけけど、とりあえずいまのところは、仕事のほうも影響はとくに受けてけていません。
個人的には、まあ、よかった。
またもうひとつヘンな話、いままでの世の中はちょっと「はしゃぎすぎ」なんじゃないかな、とも思っていました。
そんなにあちこち遊び回って飛び回らなくても、いいんじゃない。
おとなくして、いまあるものや、いまの状態に満足して、粛々と日々を送ることも大事なんじゃないの。
むしろこのたびのコロナ禍が、ある意味進化につながるかもしれない。
そんなことさえ、考えたこともある。
……まあ、それはそうかもしれないけど、それはただの「ぼくの考え」である。
合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。
妄想と、たいして変わらない。
ぼくはとりあえずは大丈夫だったし、ぼくの考えにも合致するからよかったじゃん、っていうのは、アカン、ちがうと思った。
いま困っている人がたくさんいる。
「いい面を見よう」っていうのは、「わるい面を無視する」っていうことじゃない。
無関心でいるということでもない。
これはこれでよかったじゃん、っていうのは、「社会への無関心」と同じでもある。
愛と慈しみの対義語は、憎悪ではない。
無関心である。
恥ずかしくなった。
こういうのを「犬が犬の糞を食う」という。
醜い自己満足である。
ヒキニートがリア充が困るのを見て喜んだり安心したりするのと同じステータスにだけは陥りたくない。
それはむしろ、もっとも恥ずべき心情である。クソである。
主観に浸るのはよそう、客観的に考えよう。
おおきな理屈で満足して、ものごとを単純化して「なにもしない」に安住し、困っている人になにもしないのは犬の糞である。
まずは募金をしよう、と思った。
どれがいいのかわからないけど、募金しよう。
500円でも1000円でも、集まれば巨額になる。
あとデザイン関係のひとは飲食店向けに「テイクアウトできます」っていうチラシを作って無料でダウンロードできるようにしている人もいる。
https://www.atta-v.com/pages/ideanote_detail.php?id=9583
すばらしいことだと思う。
ぼくもなにか、できることを考えてみよう。
つまらないこと、しょうもないこと、そんなことで助かるひとはいる。
コロナ禍の中にあってもとりあえず助かっているということは、だれかを救えということである。
困った時は、お互い様である。
困ったときほど、やさしくなろう。