ふしぎなことも、あるもんだ。
昨晩、ふと思い出して「タイガーバーム・赤」を肩に塗っていた。
肩こりに効くと聞いてずいぶん前に買っていたのだがほとんど使っていなくて、久々に薬箱から出して両肩に塗りたくっていたのだった。
「そういえば、オカンも肩が凝っていると言っていたな」
ふと思い出し、階下に降りていって、このタイガーバームの小瓶をオカンに渡してあげようとした。
しかしオカンはもう寝室に入っていて、まあ何も今急いで渡すことはあるまいと思い、玄関の下駄箱の上にタイガーバームを置いてぼくは二階に上がった。あすの朝に、渡してあげよう。
そして寝室に戻り本を読んでいたところ、ずいぶん肩が楽になっていることに気づき、ふむなるほど、タイガーバームはやっぱりよく効くのかもしれないなあなどと思ったりしていた。
それなら、首の上のほうも塗ってもいいかもしれないなあ。
ぼくは仕事柄肩や首がいつも凝っているのだ。
そう思ってまた一階に降りていって、さきほど下駄箱の上に置いたタイガーバームをとりにいった。
玄関の電気をつけ、ぼく唖然とした。
タイガーバームの小瓶が、ない。
はぁ?
ほんのついさっき、5分も経っていないのに、タイガーバームがないぞ?
あれ? どういうこと?
頭のうえに「?」を7つぐらい出して呆然としていたところ、ちょうどオカンがトイレに行くために寝室から出てきた。
「どうした?」
いや、かくかくしかじかで、さきほどここにタイガーバームを置いたのだが、消えてしまった。
もしかして、オカンが持っていったのか?
と聞けば「知らん」とのこと。
ううむ。
オカンはしょーもない嘘をつくタイプではない。
おかしいなあ。
さっきここに置いたものが、すぐさま消えるとは、いったい何事なのか。
その後ぼくは、すべての部屋を探し回った。
タイガーバームがなくなったところでなんの問題もないのだけれども、「いま置いたものが消えた」ということがとても気持ちが悪くて、絶対に置いていないはずの押し入れまで開けて探し回った。
もしかして無意識に薬箱に戻したのかもと思い、薬箱の中も空けてみたけど、当然なかった。
はぁああ?
なにこれ?
「神隠し」などという気色のわるい言葉も脳裏にうかんだりして、妙な気分。
しかしまあ、なくなったところで困ることでもなし、あしたの朝にでも探すか……と思い始めた頃に、ふと思い出した。
「たぬきがこけた」
と言いながらなくしものを探すと、すぐに出てくるという迷信がある。
ぼくはもともとあまり失くしものはしないほうなので、そんなことはしたことがない。
でもまあ、たぶんウソに決まってるけれども、いっかい騙されたと思ってやってみることにした。
ぼくはブツブツと、「たぬきがこけたたぬきがこけたたぬきがこけた」とつぶやきながら、またあちこち探し回った。
やっぱり、出てこない。
わしゃあ、50にもなって何をやっとるんじゃ。
「たぬきがこけた」とかいう呪文を唱えつつ家の中をウロウロするなど、まるでビョーキではないか。
おのが行動に辟易しながらまた寝室に戻った。
やっぱ迷信じゃあ出てこないよな、しっかり寝てあした明るくなってからもういちど探そう。
そう思って、なんとなーくさきほどの薬箱をパカっと開けた。
すると、
あった。
はぁああああああああああ!?
えええええええええええ!?
いやだって、さっき開けたろうが!
で、ないって確認したろうが。
待て待て待て待て待て待て待て待て待て。
なんじゃあそりゃ!
あの失くした失くしたと騒いでいた、ぼくの記憶では下駄箱の上に置いたはずのタイガーバームが、もとあった薬箱の中に戻っていた。
しかも、厳密に言えばもとあった箇所ではなく、黒い小型のポーチの上に、たいへん目立つように「ちょこん」と乗っていた。
ワーーーー!
コワーーーーーー!
なにこれ!
ネットで見てみると、「たぬきがこけた」と唱えながら探しものをしたところ、ものの5分と立たないうちに出てきた、というひとが山ほどいるそうなのである。
なんだろう。
ぼくは妄想した。
寝室にタヌキくんがスっと入ってきて、薬箱の前に座り、前足で「ここ、ここだよ」と指し示している風景を。
……かわいい。
か、かわいいではないか!
萌える!
ぼくはつい、「たぬきさん、ありがとう」と声に出してしまった。
ワーー!
ワシャー、50にもなって何をやっとるんじゃあ!
夜中に唐突に「たぬきさんありがとう」とは、何事じゃ!
あたま、湧いとんのか!
湧いとるんだと思う。
春になって、ボケちまったんだと思うんだなあ。
ぼくは「玄関の下駄箱の上にタイガーバームを置いた」とカタクナに思っていたけれども、じつは持ち帰って薬箱の中に戻したんだと思う。
その戻した行為が記憶からすっぽ抜けてしまって、「玄関に置いている」という勘違いに執着してしまい、薬箱の中をみたときにも「あるわけねーし」とか思ってちゃんと見ていなかったんだろう。
まことに人の記憶とは、あやふやなものであるなあ。
いやまったく、まいったマイッタといいながらベッドに横になる。
そしてさきほどの「家の中をタヌキくんがウロウロしてる妄想図」を思い出して、ニンマリしてしまった。
ぼくは半笑い状態のまま、眠りに落ちた。