昨晩そろそろ寝ようとベッドでゴロゴロしていたとき、娘からLINEが来た。
眠気眼でスマホを見ると、そこには衝撃的な一文があった。
一瞬で目が覚めて、ベッドから飛び上がってしまった。
「今週の土曜日、彼氏を紹介したいので連れていっていいですか」
娘が彼氏を家に連れてきたことは過去にもあったが、それは高校生の頃だった。
しかし今や、娘も社会人である。
ということは……………………つまり、そういうことなのではないか?
ぼくはとても焦り、LINEを打つ手が震えるのでイライラしてきて、とうとう電話した。
「そそそそそれはつまり、けけけけ結婚するということなのか?」
ホトバシるパトスを抑え切れず盛大にドモって問いただしたところ、
「たぶん今年度中には結婚すると思う」
ということであった。
とうとう来たか。
その日が。
一瞬アタマの中が空白になって、手足が冷たくなっていくのを感じる。
呼吸を意図的に停止し脳みそにターボをかけ演算能力をフル回転させてみたのだが、まったく予期しなかった出来事ゆえ、もし今度の土曜日に彼氏が来てくれたとしてぼくは何をどう話をし、対応すれば良いのか全くもって想像ができず、脳神経に急激な負荷をかけられたぼくはその場でフリーズした。
相手はどんな人で、とか、何歳で、とか、仕事は何で、とか、おまえは今の会社はどうするのか、とか、いつどこで知り合ったのか、とか、もしかして「できちゃった系」なのか、とか、とか、聞きたいことがヤマほどあって、まったくもって整理がつかぬ。
病気ではないほうのパニックになりそうである。
そこで娘にお願いをした。
「すまないが『予習』をさせてくれ。今週の土曜日はひとまずお前だけ来て、モロモロの経緯などを理解したい」
娘は了承しれくれて、彼氏と会うことはいったん延期することになった。
まあいずれは来ることだろうと、ある程度予想はしていた。
しかし予想外なことが二つあった。
予想外の第一は、早すぎるということである。
娘は今年の4月に社会人になったばかりで今は5月だから、結婚というのは少々早すぎる展開なのではないか。
こういう話が来るとしてもあと数年の猶予はあるだろうと予想していたから「できちゃった系」なのではないか、とも考えた。
しかし、そうではないということだった。
そして予想外の第二は、ぼくがこんなにも動揺してしまうということだった。
ご多分に漏れずぼくも親ばかで、娘のことはけっこう溺愛していた。
娘が5歳のころにぼくのパニック障害が原因で離婚し別居していたが、月に1回は会いに来てくれていたし、高校生の一時期は同居もしていた。
ぼくなんかに比べるとかなりシッカリした娘で、学業優秀がゆえに返さなくていい方の奨学金を自力で獲得してきてくれたので学費の負担なく大学進学してくれたし、就職もいっぱつで決めてきてくれた。不良じみた行動も一切なく、大学時代もずっとまじめだった。
パニック障害になったとき奥さんはぼくに見切りをつけて去っていったが、娘はぼくを見限ることはなかった。
とくに幼少時代はかなり寂しい思いもさせたはずなのだが、お父さんお父さんとずっと慕ってくれていた。
そんな娘が可愛くないわけがなく、結婚という二文字を目前すると、うれしい思いとは裏腹に、非常に強い寂寥感を感じる。
温かい空気と冷たい空気が入り交じるところでは雨雲が発生するように、ぼくのこころにも得体のしれない何かが生まれているような気がした。
まったくの初体験がゆえに、何らかの指針が欲しくなった。
娘を嫁がせた男親の友人がいれば相談できるのだが心当たりがなく、そこである既婚の女友達に相談をしてみた。
娘が結婚するとなったとき彼女の父親はどのような行動をとったか、ということも参考になるのではないかと考えたのである。
相談に乗って欲しいと前置きをしたうえで事の経緯を説明したところ、彼女の第一声は
「おめでとう! よかったねー!」
であった。
そして第二声は、
「で、どこに悩む要素があるの?」
ということであった。
しまった。相談する相手を間違えてしまったのだろうか。
やはり女性は主に娘の立場に立脚して判断するだろうから、男親の気持ちには思考が向かわなかったか。
「いや悩んでいるとかではないんだが、なにせ初めてなもので、男親としてこういうときはどういう態度を取るべきなのか全く想像がつかなくて……」
と言い訳気味に補足説明をしようとしたところ、食い気味に遮られた。
「相談に乗ってほしいっていうことは、悩んでるからじゃないの?」
まあ、そうなのかもしれん。
そこで彼女は、じぶんの息子の話をしてくれた。
彼女の息子はいま22歳でかなり「やんちゃ」なのだそうである。
20歳のころに家を飛び出していって、その後勝手に結婚していたそうだ。
相手は18歳の家出少女で、年齢を偽って飲み屋でバイトをしていたところをその息子さんが娶ったということである。
完全に「できちゃった婚」であり、両親にはなにひとつ相談も報告もなかったらしい。
そんな息子が久々に実家に帰ってきたとき、何気なく近寄った息子の車の後部座席に「うごめく何か」を発見した彼女はビックリしてひっくり返りそうになった。
そこには半裸の女性が毛布にくるまって眠っていたからである。
息子に聞けば「あ、それ俺の嫁」ということであった。
そしてその後毎年子どもをつくり、いまは4人兄弟になっているそうだ。
当然彼女も、その旦那さんも一切の相談も挨拶もないことに怒ったのだが、息子や嫁は一切聞く耳を持たぬ。
そしてつい先日、こともあろうかその若い嫁さんの「浮気」が発覚し、いまやけっこうややこしい話になっているそうである。
彼女はかなりの大物で、こんなシリアスな話をゲラゲラ笑いながら楽しそうに語ってくれるのだった。
良くないとは思いながら、ぼくもついつられて爆笑しながら聞き入ってしまった。
そして彼女は言うのであった。
「結婚する前に将来の旦那さんをお父さんに会わせに来てくれるなんて、すごく素敵な娘さんだと思うなあ」
そうだな、素敵な娘だ。
彼女の言うとおり、ぼくは何を思い悩む必要があったのだろう。
こうして結婚前にきちんと紹介してくれるということは、結婚後も会おうと思えば会えるということだ。
手順を踏んでいるということは、断絶がないということでもある。
結婚は「別れ」ではなく「生命の分岐」であり、すなわちウブスナのなせるわざである。
だから古来より結婚は「めでたい」と言われるのである。
彼女の話を聞いて、ぼくもやっと思い出した。
ぼくはずっと、こんなふうに考えていたのである。
もし娘が男を厳選し、ややこしい条件をつけて行き遅れるぐらいなら、若いうちに縁のある男とサッサと結婚して、元気なうちにサッサと子どもを産んだほうがいい。
反社会勢力や犯罪者でない限りは、どんな男でもかまわん。
そもそも俺が離婚しているのに、相手の男に何を言っても説得力なんかない。
そもそも俺が大した男でもないのに、娘の相手に何を望めるというのか。
明日のこともよくわからない俺が、娘とその旦那の将来など、わかるわけがない。
ぼくが娘にすべきことは「指導」や「アドバイス」じゃなくて「信じる」ことなのだ。
「いやー申し訳ないが、笑った。でもありがとう、目が覚めたような気がする」
彼女に礼を言ったが、ひとつだけクレームをつけた。
「ひとこと言わせてもらうが、エピソードで俺の悩みを超えてくるんじゃねえよ」
すると彼女はまた大声で笑うのであった。