友人と話していて、ふと思い出しました。
ぼくにはかなり、すばらしい思い出もあった。
パニック障害だの広場恐怖症だの、そういうことにかまけていると、大切なことを見失うことがあります。
まるでじぶんの人生がくだらないことばかりのような気がして、失敗したことや、間違えたことばかり思い起こしたりもします。
でも、そんなことはない。
ぼくは関西でデザインの個人事業主をしているけれど、関東方面にも何件かお客さんがあります。
いったいどういう経緯で関東のお客さんと付き合うことになったのか、もう思い出せないところもあるんだけど、その中にとてもお世話になったお客さんがいます。
お世話になった、というよりも、もはや「恩人」と言っても、良いかもしれません。
ぼくはパニック障害で勤めていた会社をやめ、離婚もして、個人事業主になりました。
しかし病状は良くなることもなく、むしろ悪化していく傾向すらありました。
そんな折に関東のお客さん(仮にA社とします)のオフィシャルWebサイトを作らせてもらうことになりました。
それまではランディングページなどのサブサイトを作らせてもらっていたのですが、「そろそろメインをお願いしたい」と言ってくれたのです。
しかしぼくは、不安を感じました。
パニック障害で業務が不安定なことも多々あったし、そうそう関東まで打ち合わせに行けないかもしれません。
そもそもの話、廃業を考えていました。
こんな病気を抱えたまま、個人でデザイナー事務所を継続するなんて、もう無理かもしれない。
全然仕事もとれないし、とれたとしても、仕上げることができない可能性もあります。
途中放棄したら、お客さんに迷惑をかけてしまう。
早いうちに、もっと負荷の少ない仕事に鞍替えするか、最悪生活保護さえも視野に入れていいかもしれない。
実際にぼくは生活保護について市役所に相談もしていました。
なので正直に、断ったのです。
「パニック障害なので、最後まで完遂できるかどうか、わかりません。正直な話、体調が思わしくないので廃業も考えていまして・・・」
そうすると先方は、意外なことを言うのでした。
「病気なら、治るまで待ちます。どうしてもあなたに、つくってほしいのです」
ぼくは、困惑しました。
パニック障害などというヘンな病名で、かつ廃業というワードまで持ち出せば、先方も不安になって普通は引き下がると思ったのです。
「どうしてもあなたにつくってほしい」
そんな言葉は、信じられませんでした。
ぼくは有名なデザイナーとかではないですし、我ながらデザインも技術力も普通程度だと思います。
そもそも関東と関西で非常に離れていて、フットワーク的には悪いし、加えて、病気だと言っているのです。
ぼくは、悩みました。
「もしかして、あのお客さんは、ぼくをいじめているのではないか」
そんなことさえ、考えました。
しかし現実問題として、サイトをつくればそれなりの収入にはなるわけで、生活に困窮しているぼくにとってこれをムゲに放棄してしまうのは冷静な判断とはいえません。
それに「どうしてもあなたに」と言われたら、もちろん嫌な気はしません。
数日考えて、結局ぼくは仕事を受けることにしました。
その後、今に至るまで、ぼくはそのお客さんが抱える10以上のすべてのサイトを作らせてもらっています。
結局ぼくは、廃業をしなかったのです。
というよりも、できなかった。後から後から、なぜか仕事をくれるのです。
また、廃業をしなかったことで、実績が増えていきました。
その実績を見て、さらに他のお客さんの仕事も来るという循環も徐々に始まっていきました。
気がつけば、あれから10年。
10年後、ぼくはデザインで食っていけるようになっていて、未払いだった税金や年金もすべて払い終わり、裕福とは言わないまでも、ふつうのサラリーマンと同等かそれ以上の生活はできるようになったのでした。
結局病気は、ちゃんと治ってはいません。
外出恐怖などという余計なものまでくっついてきて、体調に関していえば万全とは言い難いです。
しかしぼくは、一応デザイナーとして食っていくことができるようにはなりました。
恩人、なのです。
もし、あのとき、A社の担当者さんが「病気なら治るまで待ちます」と言ってくれなかったら。
あのまますんなり、廃業していたら。
すくなくともデザイナーという仕事はしていなかっただろうし、仕事を失ったぼくは生活保護を受けていたかもしれません。
いや、もしかすると、当時はパニック障害というのはあまりメジャーではなかったから、生活保護さえ受けられなかった可能性もあります。
廃業したらどうなっていたのか、まったくわかりませんが、少なくとも今より苦労が多かったろうと思います。
かなり心が荒廃して、自暴自棄になっていたかもしれません。
「仕事がある」
ただこれだけのことでも、ぼくを暴挙から食い止めてくれたところはあると思います。
体調が最悪だったころ、世界は敵だと思っていました。
なにもかもが、すべての人たちが、ぼくを攻撃してきているような錯覚さえ覚えました。
お金も伴侶も地位も健康も損なって、路頭に迷う寸前でした。
しかし今になって冷静に思い返せば、
ぼくに「救いの手」を差し伸べてくれた人はいたのです。
そしてぼくは、それに「乗った」。
乗ったからこそ、ぼくはいま、ここでのんきなブログなど書いていられる。
これに感謝せずに、何に感謝せよというのか。
友人との会話をきっかけに、すこし目が覚めました。
そして、なんか泣きそうになった。
ぼくは、助けられて、いま生きている。
もちろん、自分自身で頑張って努力したこともあります。
しかしぼく程度の努力など、きっとだれでもしているし、努力したからといって救いがあるとは限りません。
これもまた、めぐりあわせなのです。
ぼくがパニックだの自律神経失調症だの広場恐怖症だのに苛まれても、案外へこたれず、闘う気力を失わずに済んでいるのは、じつはこういった「すてきなこと」があったからだと思うのです。
べつに、ぼくの心が強いわけじゃない。
闇に対抗できる強い光が、ぼくの人生にあったおかげだ。
ぼくは、ツイている。
この僥倖に感謝せず、自分の体調不良に文句ばかりたれていたら、そのうちバチが当たるかもしれないです。
いま、こうして、生きていて、なんとか仕事もできている。
ちゃんと休みも、とれている。
住む家があり、食べるものもある、着るものもある。
これ以上にいったい、ぼくはなにを望むべきなのだろうか。
望んでそれを手に入れたとして、それはいかほどに、素晴らしいことなのか。
「病気なら治るまで待ちます」その言葉よりも、素晴らしいことが、ほかにあるだろうか。
ぼくはまだまだ、この仕事を続けるだろう。
生きていくためでもあるけれど、これは恩返しでもある。
あのときに救ってくれた人はもちろん、いま困っているひとのチカラになるために、わざを磨こう。
自分が つよくて えらくて 立派で
なにか が
わかったり 出来る のでは ない …
している のでは なく
させられている のだと
おもったり します (_ _)
いつもコメントありがとうございます。
「している」のではなくて、「させられている」。
ぼくもまさに、そのように思ったりします。
たしかにデザイン関係の仕事ををしたいとは思っていましたが、それほど強くはなかったし、独立なんてほとんども考えたことなかったです。
でも結果は、そうなった。
じつは他の道を模索したことも何回かありましたが、結局はどうしたって、ここに戻ることになってしまうのです。
選択の自由、無限の可能性、そんな魅力的な言葉もありますが、じつは案外人間って一本道を歩んでいるのではないのかな、と思うこともあります。
そのときには、それしか選択肢がなかったし、別の道に行ったとしても、不思議にまた帰ってきてしまうのですもの。
もしそうならば、あまり考えたり心配したりしたって、やっぱりあまり意味はないのかもしれませんね。
ただ進むだけ。必要なのは、それだけだったりするのかもしれません。