想像力や創造性が豊かであるとか、意欲が高いとか。
そういう特質はどちらかというと「良いこと」と言われることが最近は多いようで、またこれは個々人の才能や性格のようなことだ、とも言われます。
ぼくは最近、このうちのとくに「創造性は個々人の才能や性格である」というのが、もしかしたらちょっと違うんじゃないかという気がしてきています。
確かに、創造性や想像力は先天的なこととか、あるいは後天的に得た経験、学習などで培われていくところもあると思います。
でも案外「ぜんぜん別のこと」が影響しているような気がしてきました。
ハウスダストなんじゃないか、っていう。
ぼくはここ2ヶ月以上、毎日掃除をしていまして、ハウスダストがほとんどない状態になってきました。
そんな環境で毎日生活し、仕事もしています。
ハウスダストのない環境にいると、かなり神経が落ち着いてくることがわかったのです。
創造性や想像力についての一般的な解釈には、多分に「思考に落ち着きがない」ことも含めてしまっていることが多いのだ、ということに気が付いたんですよね。
無から有を生み出すという「一次的かつ本質的な創造性」ではなく、情報と情報を結合させて二次的な付加価値を生み出しているだけのことにさえも「創造性」という名前をつけている。
思考があっちこっちに飛び、こころに落ち着きがなく、妄想的で、関係性のないものを結合する、連合弛緩の傾向が強いことさえも「創造性」と言ってしまっているのです。
それはもしかしたら、創造力とは言わないのではないか。
情報連合能力、とでもいうほうが正しいのではないか?
創造性には2つある、と思ったのです。
ひとつは無から有を生み出すような根本的でダイナミックな創造性です。
いわゆる「発明」のようなことで、人間の生活様式や思考体系を一変させてしまいかねないようなものごとを生み出すこと。
もうひとつは、マインドワンダリングによって活性化された連合弛緩に基づいて生まれる付加価値生成。
これは「アイデア商品」のようなことかもしれません。
なるほどたしかに珍しいが、人間の生活様式や思考体系を一変させるほどではない、というような。
前者は「マインドフルネス」によって、後者は「マインドワンダリング」によって行われるのかもしれない、と思ったのです。
つまり神経が落ち着き、集中し、連合弛緩が少なく、平静な状態で生まれる「天啓」のような創造性と、神経が落ち着きを失い、分散して、連合弛緩が強く、ふわふわした状態で生まれる「妄想」ベースの創造性の二種類。
もちろん、どっちが高等でどっちが下等とかいうことではないです。
そして、ハウスダストや飲酒などがマインドワンダリングを助長する、ということがわかったのです。
これは自分自身の経験に基づくことです。
ようするに、部屋が汚くてハウスダストにまみれていると、炎症が起こりやすくなるのですよね。
アレルギーがなかったとしても、やはり多少の炎症反応が起きてしまう。
この炎症の熱こそが神経を興奮させ、連合弛緩を助長し、妄想を増やすようなのです。
脳が活発であるとか、元気であるとか、創造的であるとか、面白いことに目がないとか、いろんな装飾語はあります。
しかしどうやら根本的なメカニズムというのは「炎症」に過ぎないのかもしれない。
この炎症がひどくなってくると、パニック障害や神経症、ウツなどの神経的症状が出てくるのではないでしょうか。
このような神経的な症状を患うひとというのは、創造性が高い人にも多いと言われるんですよね。
そして創造性の高いひとほど、掃除や整理整頓が苦手である、とも言われます。
精神の状態についてちょっと特別に考えすぎていたんじゃないか、と思うんです。
思考体系は学習や経験、遺伝などで100%構成されているように考えてきました。
だからよい本を読み、よい教育を受けるべきだ、とも考えます。
でももしかしたらですが、案外「環境刺激」こそが50%以上を占めているのではないか。
ホコリの多い環境にいて、慢性的な炎症反応があったことで、その人の性格が「定義」されてしまっているということなないか。
なぜこんなことを思うかというと、掃除をあまりしていなかった時と、徹底的に掃除をするようになってから、あきらかにぼくの性格が変わってしまったからです。
これはぼくが自分で言っているのではなくて、友人知人から言われることです。
おまえ、なんか性格変わったな。
あれがしたい、これがしたい、こうなりたい、ああなりたい。
あれをしなければ、これをしなければ、あれが起きたらどうしよう、これが起きたらなにしよう。
以前はそういうことをまさに「炎症的に」考えていることが多かったのに、最近はあんまりそうならないのです。
いましなければならないことだけをして、あまり先々のことを妄想することはなくなりました。
ざっくりいうと、落ち着いてきた。
ぼくにはもともと弱いハウスダストアレルギーがあるので、いままでのぼくは「炎症」を起こしていただけなのではないか。
活発であるとか、欲が強いとか、元気であるとか、発想が豊かであるとか、前向きであるとかじゃなくて、たんに「神経が炎症」していただけなのではないか。
そんなことを、ふと思うのですよね。
最近ではウツなどの精神疾患は「炎症」かもしれない、という説もあるようです。
今までは主に経験や精神的なストレス、個々人の神経伝達特性に原因を求めることが多かったですが、もしかしたら神経の炎症反応が原因だった可能性もある、というのです。
ぼくはこの説はありうるな、と思います。
だって、ハウスダストのありなしだけで、考え方まで変わってしまうんだもの。
反応のしかたまで変わってしまうんだもの。
微細な炎症が続いていると、こころに「火」がついてしまうんですよね。
なにかをしていないと落ち着かなくて、始終いろんなことを考えてしまう。
そうなると、そのうち脳みそがヘトヘトになってくるんですよね。
がっくり来て、ひどく落ち込んだり、恐慌状態になりやすくなったりする。
掃除をしなさい。
昔から口酸っぱく言われてきたのは、もしかしたら神経の炎症を最低限にするという工夫だったのかもしれないです。
精神性は、単純にハウスダストなどに対する炎症反応によって左右される場合もあるのかもしれない。
汚れた空気のなかではマインドワンダリングが活発になって、よけいなことをしがちになるのかもしれない。
人間というのはものすごく複雑で精妙なことろがあるいっぽうで、うそみたいに単純なところもありますから、案外そんなこともあるのかなと思ったりします。