大人っていうか、オッサン・オバハンになったら、トキメキが減るよね。
最近は、若いひとでもトキメカない人も多いらしいけど。
自律神経がおかしいとか、パニック障害だとか、のぼせるとか、運動してないのに動悸がするとか。
こういうのって、いろんなことを試してみても結局、なっかなか治らないんですよね。
お医者さんでさえ、治してくんない。
そこで、まったくの妄想だけど、ふと「もしかして」と思ったことがあるのです。
お医者さんでも治せない病は、もうひとつある。
「恋の病」
です。
自律神経失調症の不具合っていうのは、基本的に動悸とか、アタマの鬱血感とか、顔が火照るとか、そーゆーアレが多いです。
これがたとえば、激しい運動をしたときとか、めっちゃタイプの異性に告られたとか、そんなイヴェントがあって起きたのなら、だあれも病気とかいわない。
とくだん変わった刺激はないのに、なぜかとつぜん、ドキドキしたり、紅潮したり、興奮したり、そわそわしたりする。
だから不思議だし、病気じゃないか、という。
このドキドキ、紅潮、興奮、ソワソワ。
これって「ときめいている」ときと、同じ反応だなあと思ったんですよね。
「恋してる」状態と、同じだと思うんです。
ときめく:アイヌ語の心臓の鼓動を意味する「tok」からきているという説がある。ドキドキするような状況を指す場合によく使うが、おおむね良い状態をいう。ちなみにアイヌ後の「tok」は「toki(時)」の語源とも言われている。(いろんなところから抜粋)
初恋の人に久々に会って、胸がときめく。
そんなとき、人はドキドキしたり、あたまに血が上ったり、神経が興奮して落ち着かなくなって、そわそわしたりします。
しかしオッサン・オバハンともなってくると、もうそーゆー、トキメキ的なものは全然なくなっちゃうんですよね。
娘は可愛いけど娘にトキメクわけもなく、配偶者だって最初の半年ぐらいはトキメキつづけていても、そのうちトキメカなくなる。
初恋の人に会ったって、たぶんもうトキメカないんじゃないかな。
それよりも「時間の残酷さ」のほうに思いが至って、瞑想的な気分になってしまうかもしれない。
そういえばかつて、インターネットが出始めた頃、ぼくはかなり、トキメキましたね。
「これは絶対に世界を変える」
そう確信しました。
Windows95が出たときも、iMacやiPhoneが出たときも、ものすごくコーフンしたものです。
電子メールという画期的な技術にコーフンし、ニフティーサーブなどの通信にも、NetscapeやMozaicなどのインターネットブラウジングにも、痛いほどコーフンした。
しかしあれから、20年。
身の回りにあるそれらのガジェットさんたちも、インターネットも、もう珍しくもなんともなくなってしまいました。
眠る時間さえ惜しんで触っていたのに、今や「デジタルデトックスをしよう」などといって、触らない日さえあります。
紙の手帳や日記を復活して、本も紙で読むようになり、デンワもガラケーに戻して、iPhoneなんか最近はただのウォークマン代わりです。
仕事以外ではパソコンもスマホもインターネットも、べつにそんなに必要ではないことに気がついてしまったんです。
なかったらなかったでどうとでもなるし、むしろないほうが良いことさえ多い。
こうなってくると、あのトキメキさんたちも、もうどこかに行ってしまったのでした。
おウチに帰ったのかな?
空気や、水や、タンパク質や、炭水化物のように、ヒトには「トキメキ」も必要なのではないのでしょうか。
トキメキは、ヒトが生きていく上での、必須栄養素。
更年期に差し掛かると、ヒトはまるでトキメイているときと全く同じ身体反応を、ランダムに引き起こします。
のぼせ、発汗、動悸、速い呼吸、そわそわなど。
これは、もしかするとカラダちゃんが「もっとトキメキたいっ!」と、オネダリしているのではないでしょうか。
おなかがすくと、消化の予行演習で胃がグウグウ鳴くように、トキメキ不足になると心臓や血管も、トキメクための予行演習をするのかもしれません。
清潔と安全の功績で、ヒトはずいぶん、寿命がのびました。
だから、今や40代50代なんて、まだまだ若者の部類です。寿命のちょうど真ん中ぐらい。
江戸時代とかそれ以前なら、そのへんはもう「長老」だったんですけどね。
むかしは、20代ぐらいでもう、人生の半ばだったのです。
現代の40代50代に更年期障害が多いのは、必ずしも老化というだけではなく、
若いくせに全然トキメイてない
という、不自然な状態の誤作動かもしれませんよね。
まだまだ全然元気に生きていけるのに、もう死を待つ老体のように、なんのトキメキもなく時間が過ぎるのを眺めている。
トキメキなく、機会的に「しなければならないこと」をひとつひとつ潰していく日々。
つまらーん!!!
…………と、カラダちゃん、ココロちゃんが暴れているのかもしれませんよね。
まるで、飼い犬を犬小屋のなかに押し込めて、外へ出られないようにするみたいに。
ちなみに、ヒトのココロというのはピラミッドのような感じで、5層になっているんだそうです。
ココロをメンテナンスする場合は、この5層のうちのどれかひとつだけをなんとかするのではなくて「下から順番に」やっていかなくちゃならないんだそうです。
つまり、生理的欲求を満たしてから、安全欲求を満たし、つぎに社会的欲求を満たし……という具合。
下位の欲求を充足させたら、次の段階の欲求を充足しようという衝動が自然と起こるのだそうです。
ココロが病的な場合は、たいがいこの5層のうちのどれかの欲求が低下したり、欠落したりしているそうです。
引きこもりなんかは「社会的欲求」が欠損しているのかもしれませんし、ウツなんかは「尊厳欲求」「自己実現欲求」が欠損しているのかもしれません。
パニック障害は、さしずめ「安全欲求」が充足されていませんね。
下位の欲求が充足されないと、上位の欲求も原則的に充足されないんだそうです。
常時ハラペコで睡眠不足だと、いくら安全な場所にいたって安全欲求は完全に満たされないし、ましてや自己実現欲求もうまく動きません。
だから、メンテナンスをする場合は「下から順番に」が鉄則なんだそうです。
パニックだのウツだのになるひとってよく言えば「倫理的」な人が多くて、下位の欲求をわりとガン無視する傾向があります。
上位の欲求ばかりに目が行って、出世したいだのちゃんと仕事や勉強したいだの、みんなから認められたいだの、そればっかり満たそうとして、ちゃんと寝てなかったりする。
結果、ココロの構造がぐっちゃぐちゃになる傾向があるみたいです。
「トキメキ」というのは、この5層のこころのバランスを失うと、発現しないものなのかもしれません。
とくにもっとも大きな「生理的欲求」と「安全欲求」がちゃんと満たされていないと、生まれようがないです。
それどころじゃ、ないですからね。
トキメキというのは、こころの中でもわりと上位の部分で活動する機能のような気がするからです。
トキメキのすくない生活を送っていると、ココロが叫び始めるのです。
「わたしに、もっとトキメキをください!」
しかしココロには、コトバがありません。
だからココロは「トキメイているときの反応」を疑似再生して、思い出させようとするではないでしょうか。
「ほら! こういうこと、あったでしょ! わたしは、これが欲しいのよ!」
って。
それでもガンコにトキメキを与えないで、
「これは病気である。神経の異常である。治療が必要なのである。」
と決めつけて、ヘンな気色のわるい健康法ばかりを試してしまうことは多いです。
そのくせ、肝心なトキメキは、与えてあげない。いじわるだ。
恋をしてドキドキするのを病気だと思って、お医者さんに行くようなものですね。
だからお医者さんも、治せないのかも。
何か新しい健康法を試すと、しばらく調子が良いことは多いです。
これはたぶん「すこしトキメイた」からかもしれませんね。
これをすると、治るかもしれない! そういった希望からうまれた、かすかなトキメキ。
ココロも一瞬、だまされてくれた。
それは、健康法そのものの効果じゃないのかも。
ほんとんどの健康法は、一生続くほどのトキメキなんか与えてはくれません。
数日か数週間で飽きてしまう、底の浅いものばかりですから。
それにそもそも、健康法ほど、この世で面白くないものはありません。
健康法でトキメクことがあったなら、それはそれで、すこしだけヘンタイです。
飽きた瞬間、その健康法という魔法は、そのその効力を失う。
恋とか、希望とか、ワクワクとか、そういうやつ。
ほんもののトキメキがあれば、もう心臓は、満足してくれると思う。
自動再生の必要なんか、ありませんものね。
ほんもののトキメキを見つけるのに、いちばんひつようなこと。
それが「下から順番に」なんだと思います。
「下位の欲求から順番に、満たしてあげる」
そうすればココロ全部が元気になって、トキメキもワクワクも、いっぱい見つかるようになると思う。
トキメキを忘れた大人たちを、待ち受けるもの。
それが、更年期障害などの自律神経失調症なのかもしれませんね。
探し求めるべきは、元気や若さや健康じゃないですね。
そんなもの、どこを探したって、売っても落ちてもないです。
探し求めるべきは「トキメキ」だ。
トキメケば、ひとはしぜんと、元気に、若く、健康になっていくから。