この春の自律神経の不具合については、まあーいろいろ悩みましたね。
いろいろやったけど、何をしたってよくならない! なぜだ!
天を仰いで落涙しそうになっていたけれども(なってないけど)、今考えてみればわりと単純なことだったかもしれません。
・リラックスすること
・疲れをとること
・柔軟性を高めること(心身ともに)
こんなことを、ぼくはずーっと続けてきました。
だから、方法が間違っていたんじゃないんですね。
むしろ、合ってた。ビンゴだった。のかもしれない。
リラックスや、疲労の回復や、心身の柔軟性を高めるために必要なのはまず「ゆるむこと」なんですね。
で、自律神経失調の改善にまず必要なのが、リラックスすること。
ぼくがしていたことは、間違ってはいないのです。
そしてぼくは、確かにゆるんだ。
効果はあったんです。
あったから、ゆるんで、具合がわるくなったんだと思う。
今思えば、ぼくのこれまでの数十年間は「気合と緊張のコンチェルト」であったのだと思います。
しんどいなあ。
そう思ったら「気合が足らんっ!」。
いやだなあ。
そう感じたら「緊張感が足らんっ!」。
そーゆー体育会的ジャンボリーな方法論を、唯一のよすがとしておったのでした。
だからぼくは、始終気合を入れ、緊張感を高めておりました。
ぼくがパニック障害になり、自律神経失調症になったのは、むしろ当然だったかもしれませんね。
そうなるように、そうしてきたから。
物事の解決策の、引き出しが少なすぎたんですよ。
体力と精神力に、すべてを頼っていた。
で、ここ数年「これではいかんな」と思うようになった。
確かに、気合や緊張が必要なこともあります。
でもそれだけで解決できないことは、やまほどあります。
ときには、待つ、まかせる、あきらめる、逃げる、謝るという方法を使うのも、立派なソリューションであります。
これをスっとできるためには、心身が柔軟でなければなりません。
ぼくは、硬かった。
だから柔軟になろうとここ数年、努力をしてきたのです。
ヨガ、瞑想、呼吸法、その他もろもろ、効くの効かないの、なんだかんだいって続けてきました。
そして甲斐あって、おそらくこの春先に、やっとゆるんだのだと思います。
ある個人的な問題が解決したことをトリガーに、これまでの努力も交差して、どっとゆるんだ。
ずっと飲み続けていたお酒さえ、飲まなくなりました。ストレスが減ると、お酒なんかいらないんですよね。
それよりも、ゆっくりお風呂に入ってヨガでもして、おいしいお水でも飲んで寝たほうが明らかに気持ちいいです。
そんなことをしていくうちに、本気でゆるみだして、あちこち一気にいろんな症状が噴出したんだと思います。
だるい。
重い。
痛い。
すぐ疲れる。
このことを、ぼくは「異常である」と定義しました。
しかし、これは誤った定義だったかもしれません。
気合と緊張は、「不具合の隠蔽工作」なんですよね。
試合中に気合が入っていると、捻挫したって気が付かないこともあります。
気合と緊張は、痛み、疲労、怒り、恐怖、不安、違和感、そういったものを「隠蔽」するのです。
ふっとばしたのでも、解消したのでもありません。
強くなったのでもありません。
隠蔽したのです。
気合と緊張を消していくと、いままで隠し、押さえつけてきた、痛み、疲労、怒り、恐怖、不安、違和感、それらがぜんぶ「出てくる」のだと思います。
当然ですね。
根本原因から解消したわけでも、吹き飛ばして消したわけでもないからです。
エネルギー不滅の法則。
抑え込んだものは、消えてなどいない。
いままで何十年も、主に気合と緊張力を使って行動してきました。
ぼくは、それをやめた。
気合と緊張を使うのをやめたら、ぼくのからだは、想像以上に重かった。
想像以上に痛かった。
想像以上に疲れていた。
想像以上に不安で、怒っていて、怖がっていた。
ぼくははじめて「ほんとうのじぶん」を感じたのかもしれないです。
この不安も、怒りも、痛みも、疲労感も、違和感も、ぼくが長年「隠してきたものたち」なんだ。
やっと、出てきてくれた。
これは、ある意味成功したのだと思います。
気合や緊張感は、麻薬である。
このことを、学校とかでもちゃんと教えるべきだと思うんですよね。
だけど学校では、むしろ気合や緊張感を称賛する傾向があります。
学校はヒトを見ないで、結果と評価ばかり見ているから。
だまされるな。
気合も緊張感も、依存性が高いとても危険な薬物です。
たまに爆発的なパワーがほしいときには、少しぐらいなら、使ってもかまいません。
しかし日常的に常用するようになると、気合や緊張感が切れるとまったく動けないジャンキーに堕してしまいます。
アルコール依存症から脱却するのが非常に苦しいように、「気合・緊張感依存症」から脱却するのも、非常に苦しいです。
自律神経失調症は、病気というよりはむしろ「正規化・正常化」なのかもしれませんよね。
そのままいくと「気合と緊張感のフルジャンキー」になってしまうから、ブレーキをかけてくれた。
ブレーキをかけると、じぶんが隠蔽してきたさまざまな不具合が初めて見えて、びっくり仰天しているんだ。
生きていくのに、そんなに気合とか緊張感とかが必要なら、それは生き方を間違えてる。
薬物を乱用して生きていくのが、間違いであるように。
ゆるんでいたって、できないことは何ひとつないはずです。
ゆるんだままで、なんでもできるようになろう。
そうしたら、疲れなくなる。