「朝からすげーソワソワする」
「朝からすげーイライラする」
ずっと言ってきたんだけど、なんか原因がわかってきた気がする。
ぼくは、とくに朝から午前中にかけて異様にイライラすることについて「原因はない」と断定していました。
じっさいとくに何らかのトラブルがあったり、慢性的に抱えている大きな不満や心配があるわけではないからです。
仕事だってキライではなく、むしろ好き。
家事も、基本的に好きなほうです。
家族とも仲はいい。
おかしいなあ、と思うから、これを「自律神経」のせいにしてたんですね。
まあ、自律神経の不調といえば、それはそうなんだけど、ではなぜ自律神経が不調になるのか。
自律神経っていうのは、ものすごく大雑把にいえば「興奮と弛緩」を司る神経でもあるんですよね。
コーフンしすぎてしまう、あるいは逆に、ダルンダルンにたるみきってしまう。
「ちょうどいい感じの張り」ができなくなってしまうのが、自律神経失調症なんですよね。
けっきょく「頑張ってしまう」のが、根本的な原因のような気がしてきました。
頑張る、というのを、もうすこし分解していくとそれがよくわかる。
頑張るというのは結局ようするに、
・急いで
・正確・適切に
・我慢して
・限界まで
っていうベクトルを使いながら物事を遂行しようという行為なのですね。
ある意味「終点指向性」といえるかもしれない。
とことん主義、というか。
ぎゃくにいえば、これらがなければ「頑張っている」とは、あまりいえない。
べつに急ぐわけでもなく、それほど正確性があるということもなく、我慢するわけでもなく、限界まで全然余裕がある状態で、物事に取り組んでいる。
それは「やっている」とはいえるけど、「がんばっている」というのとはちがう。
頑張る、っていうことは、わるいことではないんだと思います。
よく「頑張るのはよくない」ということを言いますけど、これを原理主義的に、人類すべからく、あらゆる人は頑張ってはいけないのだ、などと考えると、アタマおかしくなる。
おそらくここには「時間軸」が必要なんだと思います。
若いうちは頑張れ。
トシとってきたら、頑張るのをやめろ。
っていう、ただそれだけの話なのかもしれないんだなあ。
だから、たとえば中高生や大学生がスポーツやサークル活動、学業に一生懸命に頑張って勤しむことは、決してわるいことではなく、むしろ推奨すべきことなんだと思います。
また若い社会人が、夢を叶えよう、いっしょうけんめい仕事を覚えよう、目標を達成しようと頑張ることも、ぜんぜん悪いことではないと思う。
若い時期に、じぶんの限界ギリギリまで何かをやってみるというのは、すごく良いことではある。
限界までやってみたからこそ、じぶんの限界がどのへんなのかっていうことを知ることができるから。
じぶんにできること、できないこと、得意なこと、不得意なこと。
そのへんが若い時期にあるていど整理できれば、あとの人生がラクになります。
できないことは、ヒトにやってもろたらええねん。
更年期障害っていうのは、上記の「摂理」を逸脱したときに起こるものなのではないか。
これは更年期障害だけじゃなく、パニック障害とかにも関係あるかもしれません。
まあまあトシ食ってきたくせに、まだ若いときみたいな気持ちで頑張ってる。
っていう。
駅についたのに、乗り過ごしちゃってんのなあ。
「頑張ったら、なんとかなった」
っていう成功体験が、邪魔してるかもしれないんですよね。
そこそこ器用で、根がまじめで、アタマの回転もまあまあで、運も良い。
そんなひとが頑張ってしまうと、いろいろ「うまくいってしまう」んだよなあ。
そしたら、こんなバカなことを思い始める。
「頑張ったらなんとかなる」
「あきらめなければ目標は達成できる」
いや、まあ、そりゃあそうなんだけど……。
でもけっこうエエ年にもなってこんなところで思考が「止まってる」時点で、ちょっと苦労が足らないともいえますよね。
ナメとーる。
ふつうに考えて、頑張ってもどうにもならないことや、あきらめざるを得ないことは、ものすごくたくさんあります。
たまたま「超えられる程度の困難」を頑張って乗り越えられたからといって、それでその後も「全部それで行く」っていうのは、ちと甘すぎるわなあ。
真面目で有能な人ほど気が狂うというのは、案外この構造かもしれないです。
パニックやウツになるひとって、真面目で有能で才能のある人に、けっこう多いらしいんですよね。
これはもしかすると「真面目に頑張れば、なんとかなってしまった」という僥倖の副作用かもしれませんなあ。
うまいこといっちゃったせいで、「頑張る教」から脱出できなくなってしまったのかもしれない。
もしかして芸能人にパニック障害が多いのも、そういうことかもしれませんね。
がんばって、夢を「叶えてしまった」んだよなあ。
「頑張る教」に、入信せざるをえませんね。
ぼくが午前中に異様にソワソワ・イライラするのは、結局この「頑張る教」の勤行をしているからかもしれないんですね。
はやく、メシつくらねば。
はやく、洗濯をせねば。
すぐに、仕事にとりかからねば。
イヤでも、やってしまわねば。
あしたのぶんも、今日やらねば。
あしたのことを、準備せねば。
やるなら、きちんと、まちがいなく、完遂させなければ。
時間・抑圧・完全性。
急いでる。焦ってる。切迫してる。余裕がない。
あほちゃう?
急がんでもええっちゅうのに。
いや、正確には、急がんといかんことと、急がんでもエエことがある。
なのに、とにかくのべつまくなしに、急ごうとする。
早く終わらせようとする。
そして、精度も高くやろうとする。
んなもん、気が狂うてあたりまえやっちゅうの!
ほんとうに急がないといけないことなんて、じつはめったにないのにね。
更年期障害って、じつはこれに「気づく」ための通過儀礼かもしれないんですよね。
頑張る時期は、ここで終わりです。
この警告標識を無視して、しょうもないことで、いまだに頑張ろうとするから、いつまでも治らないんじゃないかな。
1日ぐらいメシ食わなくたって、1日ぐらい仕事しなくたって、死にはせんっちゅうの。
でも「頑張ろう」っていう指向性をいつまでも持っていたら、死ぬかもしれないからね。
頑張りやさんは心臓をイワす、これは医学的にもテッパンらしいです。
オッサン・オバハンは、もう頑張ってはいけないのです。
頑張るんじゃなくて「すべきことは、時間をかけて、70点ぐらいの完成度でやる」のがいいですね。
完全を目指すのは、20代まで。