今回は、自覚あるんですけどね。
まーた熱が出てきました。
きのうはキッチンのコンロと換気扇をがっつり掃除したんですけど、こういうふうにわりと大規模な掃除をすると、次の日に熱が出る。
ひどいときは、起き上がれなくなるぐらいの腹痛になったりしたこともあります。
スピ系のアレでは、これを「好転反応」とよぶそうです。
ぼくはそーゆースピ系の気色の悪い独りよがりな考え方が大キライだったんですけど、最近はあまり否定しないようにしてます。
否定はしないけど、肯定もしません。
個人的にはやっぱり、疲れとバイキン、あるいはアレルギー反応なんだろうな、と思います。
アレルギーというとくしゃみや咳、湿疹などを思い浮かべることが多いけど、たぶん反応はひとそれぞれだと思うんだな。
アレルギー反応というのは浄化反応でもあるので、必ずしも呼吸器系や皮膚に限ったことではないと思います。
さて今回は、ふつうに疲れたんだと思います。
たぶん6時間ぐらい、ずっと立ってたんですよね。
掃除の最中に、すごく足腰が疲れてくるのを自覚していました。
それにかなり腕の筋肉も使っていたようで、重だるいです。
あの内部からくる鈍痛ではなく、今回は明らかに「運動をした翌日の筋肉痛」です。
掃除ってやっぱり、思いの外疲れるんですね。
やれジョギングだ、やれ筋トレだ、やれヨガだ、ティラピスだ、健康のための運動についていろいろと言うけれど、みんな「掃除」したらええねん。
本気のパッチで徹底的にやったら、全身運動になるんですよね。
家もキレイになって、機械類も故障しにくくなって、一石二鳥、三鳥です。
筋骨だけでなく、神経系も鍛えられると思うんですよね。
きったねえホコリとかゴミとかバイキンとか盛大に吸いまくって、からだにいっぱいくっつけて、ヘロッヘロになるまで動く。
こんなもん、強くならないほうがおかしいです。
だれかがキレイにしてくれた清潔なジムで筋トレやるよりも、ホコリとバイキンにまみれながら、バケツ持って家中走りまくったらええねん。
大腿四頭筋は強いけど、不衛生には弱いですっていうのは、弱い、っていうことだし。
大胸筋は強いけど、爪や手の皮は弱いですっていうのは、弱い、っていうことだし。
あとアタマも使いますよね。
仕事とはまたちがうアタマの使い方します。
まずかなり集中して汚れを探す必要があるので、注意力のトレーニングになる。
そして、それにどのように対処すれば最も効率よくキレイになるかを考えなくてはいけないので、アルゴリズム的な脳のトレーニングにもなると思う。
なぜ汚れたのか、どうすればあまり汚れないですむか、そういうことを考えるのもまた、脳トレですね。
掃除は筋骨と神経、アタマをかなり酷使する作業だと思います。
だからあまり慣れていないぼくは、翌日に熱を出したりするんだと思います。
スピ的に「好転反応だ」と思うのも良いかもしれませんが、それよりも「強くなっていっている」と思うほうが、個人的にはうれしいです。
運が良くなるとかなんとか、そんなもん、どっちゃでもええやんけ。
なにをいまさら。
そもそも「運をよくしたい」と思っているということは「私は運がわるい」と思っているということの証明です。
引き寄せがどうのこうのいうくせに、完全に自己矛盾してるじゃないか。
マイナスのことを考えているとマイナスを引き寄せるというのなら、「私は運がわるい」と思っているのはどうなんだ。
運がよくなるように願って掃除をするということは、わたしは運が悪いと思いながら掃除しているのと同じことです。
だから「掃除のあとになぜか不運に巻き込まれる」とか言うひとがいるんじゃないか。
運というのは自分が過去にしてきたことの積み重ねと外的要因の複合的な結果だから、掃除云々だけじゃなく、普段の行い全般に注意しないと意味がないと思うんだな。
なのに「掃除しとけば運が良くなる」なんていうそんな怠惰な考え方こそが、不運を招くんじゃないの。
そんな甘くねえわ。
神様怒るんじゃないか?
掃除だけじゃなくて、どんなことでも、めんどうくさがらずに丁寧にやんなさい、って。
掃除がもし運の好転に効果があるとするならば「ていねいさ」が身につくからじゃないでしょうか。
掃除してエネルギー波動が上昇して良いことが起こるとか、因果の法則に完全に違反しています。
そんな短絡的なことでも、自己中心的なことでもないと思うんだけどなあ。
だからそんな怪しげな因果を願うよりも「掃除でカラダとココロとアタマが鍛えられていっている」と思うほうが、よっぽど現実的だと思います。
カラダとココロとアタマが強くて、ていねいな気持ちがあれば、運なんて関係なくまっすぐに生きていけると思うから。