机の上のパソコンの位置は「真正面」が良いと、どのサイトでも言っています。
またディスプレイの中央と、キーボードの中央(「B」のキー)を揃えると、ディスプレイとキーボードの中心が揃う。
長年パソコンを使う仕事をしていますが、ぼくはどうも最近、これが信じられなくなってきています。
それが原則であることは理屈としてはよくわかるのですが、それをほんとうに真面目に実行すると、ものすごく疲れるんですよね。
ぼくがおかしいのかな? と思ったりするのですが、ぼくの身の回りのデザイナーさんやコーダーさんの中には「ディスプレイは少し右に振ったほうが楽」という人は、意外と多いのです。長くやっているひとほど、その傾向が強い。
まず間違いなくいえるのは、パソコンのディスプレイ上で最もよく注目される位置というのは左側が多い、ということです。
文字は左から右に向かって書かれるから、どうしても左側に文字が集中するのです。
またメールアプリやファインダー(Windowsならエクスプローラ)など、主なアプリでは左側にファイルツリーが表示されることが多いです。
結果、主な作業領域は、真ん中より「やや左」に寄ることが多いのです。
また最近のディスプレイは解像度が高くなっていく傾向があり、どんどん横長になってきています。
そうなると、「画面全体の中央」ではなく「主な作業領域の中央」は、より左側に偏ることが多くなり、結果ディスプレイはやや右にズラして置いたほうが作業しやすいということになるのです。
これは理屈ではなく、実際にやってみればよくわかります。
文章を書くのでも、ブラウザでWebサイトを読むのでも、ディスプレイをやや右にズラして置くと、少し作業がしやすくなるのです。
「ディスプレイは正中線(カラダのど真ん中)上」
これを頑固に実行すると、長時間作業をしていくうちにだんだん体のほうが左に逃げていくようになってしまいます。
すこし極端ですが、以下のような感じ(写っている人は本文と関係ありません)になっていきます。
あたりまえですよね。
画面の左側に作業領域が集中しているので、そのあたりが見やすいように自然とカラダが動くのです。
なのに、どのサイトを見てもまるでハンコで押したかのように「ディスプレイもキーボードもど真ん中なのっ! ぜったいに、そうなのっ!」と、ひじょうに頑固なのですね。
また、これはどういう理屈かわかりませんが、ディスプレイそのものを「右斜め前」あるいは「左斜め前」に置いて作業するほうが、総合的にカラダが楽だというのもあります。
目とか、気分とか、呼吸とか。
この意見も実際にはわりと良く聞く話なのに、ネット上では「検閲でもかかっているのか?」と思ってしまうぐらい、一切出てきません。
もはやカルト宗教的とさえいえるほどに、
「真ん中! 真ん中! 真ん中!」「正面! 正面! 正面!」「左右対称! 左右対称! 左右対称!」
と、叫び続けているのですよね。
全然別件ですが、たとえば絵画などでも、構図は左右非対称のほうが落ち着くというのがあります。
ピシーっと左右対称にしてしまうと、ひじょうにストレスを感じる構図になり、素人っぽさも出てきます。
絵の中心点をすこし左右どちらかに振るだけで動きや表情が出て、安心感も出てきます。
絵が「生きてくる」のです。
これは写真でも、同じことがいえます。
「左右対称」というのは、じつは不自然なのです。
それは大げさにいえば「死」を意味します。
エントロピーが崩壊して、動きを失い、停止した状態。
人間の顔は左右対称に見えますが、じつはすこしだけズレています。
そして少しズレているほうがより人間らしく、美しく見えるのだそうです。
あたまで考えると、どうしても左右対称になってしまうのかもしれませんね。
パッと見た感じ人間の体は左右対称だから、何事も左右対称が良いのではないか。
そんな発想になるのでしょうか。
しかし実際には心臓が左に寄っていたり、肝臓は右側だけだったり、きんたまは上下にズレていたりして、そんなに厳密に左右対称ではないのです。
また利き腕や利き足、利き目など、四肢の機能にもわりと大きな左右差があります。
「すこしだけ、ズレている」。
これはじつは、結構大事なことなんじゃないのかなと思ったりしています。
偏りがあるからこそ「逃げ道」もありますものね。