手で拭く

坐禅を毎晩するようになったのとほぼ同時期に、毎日掃除をするようになりました。

だから「毎日掃除」も、今日で118日目ということになります。

 

坐禅にせよ掃除にせよこんなに続いた理由は単純に「気持ちがいいから」にほかなりません。

ていうか、ぼくはよっぽど以前は「気持ち悪かった」のかもしれないです。

瞑想や掃除で気分がスッキリするのはべつに珍しいことでもなんでもなくて、そう感じるひとはたくさんいるようです。

とくに掃除についてはどハマりして習慣になってしまう人もいるようで、それはじつは僕のことにほかなりません。

 

さてそんなことで毎日掃除をしているわけですが、ただぼくの掃除というのはけっこう手抜きで、

・朝起きてドライタイプのクイックルワイパーで床の掃除
・続いてハンディモップで家具などのホコリ除去

程度のことで、べつに本格的というわけではありません。

週に1〜2回ほどは、雑巾で床を拭きまわります。

 

じつはここ最近は「床の雑巾がけ」をあまりしていなかったのです。

毎日掃除をするようになると、ホコリがほとんどなくなってくるのですね。

毎朝の床掃除でも、ホコリをとる紙にほとんどホコリがつかなくなってきます。

そんなだから、もう床の雑巾がけはべつにいいかな、とか考えていたのです。

 

しかし最近またどうも気管支の調子がおかしかったり、妙にソワソワする感じや動悸などがたまに起きるので、久々に床の雑巾がけをしました。

バケツに水をため、床にはいつくばって全部の部屋を拭きまわる。

そうしましたら、なんともまあ、かなり汚れていたのでした。

たった一部屋でバケツの水が濁ってしまうぐらいです。

どうやら「クイックルワイパー」について、過信しすぎていたようです。

あれは確かにかなりのスグレモノで、ホコリに限ってはずいぶん効率よく掃除ができます。

でもどうしても立ってやるので細かい所を見落とすし、またあの繊維では取り切れない塵もけっこうあるようなのでした。

這いつくばると床に顔を近づけることになるので、よくわかります。

「雑巾がけでしか取れない汚れはけっこうある」。

 

全部屋の拭き掃除が終わりましたら、やっぱり気分爽快になるのです。

呼吸が楽。

これは雑巾がけをしているぼくの運動効果というだけではなく、それをしていない親父も同じく「空気がきれいになった、すがすがしくなった」と感じるようです。

人間というのはもしかすると、目に見えない、ニオイで感じない汚れのようなものも少なからずどこかで検知しているのかもしれませんね。

 

輝きはじめるのです。

これも掃除をしているぼくだけが感じることではなく、家族全員が感じることです。

床も、流し台も、便器も、壁も、階段も、手できれいに拭き掃除をすると「輝きはじめる」。

すると部屋全体、家の中全体が、明るくなって光に包まれるような錯覚を覚えるのでした。

たぶんほんとうに敏感鈍感関係なく微細な変化を検知する機能が人間にはあるのだろうと思います。

結果、とても呼吸が楽になるような、よい香りさえするような感覚をおぼえる。

 

掃除機やクイックルワイパーも、とても良い道具です。

しかし「輝き」のためには、ゾーキンとバケツには遠く及ばないのかもしれないです。

疫学的には濡れ雑巾で掃除をするよりもドライタイプのクイックルワイパーのほうが良い、という説もあります。

また雑巾がけもゴシゴシ擦るのではなく、特定の方向だけに動かすほうが良いという話もあります。

しかしこれは、あくまで疫学的な目的の場合かもしれません。

掃除には疫学という物質的な目的のほかに、精神的な目的もあるような気がします。

磨くのです。

取り除くだけでなく「磨く」のです。

磨くためにはやっぱり「手で、雑巾で、ゴシゴシこする」ことも、時には必要なのかもしれないですね。

 

這いつくばって「手で拭く」。

これには疫学的なことだけではない、なにか別の効果もあるような気がします。

 

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