ディストラクションの必要

小さいころから学校では「集中しないさいっ!」とよく怒られるものです。

先生はなぜ集中しろといって怒るのか?

それは当たり前のことで、子どもというのは「集中しない」いきものだからです。

ほうっておいたらつい集中してしまうような子どもばかりなら先生は集中しろと言うこともありません。

子どもに限らず、人間というのはおおむねそういうもののようです。

だから「集中する方法」というテーマの本やウェブサイトの記事は、よく読まれます。

ほうっておいたらつい集中してしまうような人ばかりならそんな本売れない。

 

しかし世の中には、たま〜にヘンな人がいる。

ほうっておいたらつい集中してしまう、という人が。

これはぼくの勝手な憶測だけど、パニック障害などの神経症を患うひとというのはそんな傾向が強い人が多いのではないか。

いわば凝り性とでもいうか、ひとつのことにぐーーっと集中してしまうクセ。

集中すると人は呼吸を止めてしまう傾向があって、だから凝り性の人は呼吸が浅い。

この呼吸の浅さで、神経などに異状をきたすことも多い。

なにをかくそう、ぼくがそのうちの一人です。

 

偏見というか、固定観念というか、ぼくはずっと考えていたのです。

「集中することは、いいことだ」

うそつけ。

これほど「不自然なこと」は、おそらく他にないぐらいなのです。

集中するということは、そのことしか見えなくなってしまう、ということです。

そうなると得られる情報は偏るし、危険察知能力も低下する。

学校が「集中」を推奨するのは、当然です。

学校というのは本来労働者育成を目指すもので、労働者には業務に集中してもらわねばなりません。

集中力のない労働者はすなわち不要である。

学校が生徒の集中力を高めることにやっきになるのは理の当然でありますね。

だから学校というのはある意味「へんなやつ養成機関」ともいえる。

 

残念ながら人間は働くために生まれてきたのではないのです。

あくまで生きるために働くのであって働くために生きているのではありません。

このへんがこんがらがってくると、なんだか集中力が弱いのはまるで役立たずのような気がしてきて、罪悪感のようなものまで芽生えてしまう。

「ほんとにもう、おまえは落ち着きがない! 集中しろ!」

とさんざん怒られながら育つのですから、しょうがありませんね。

しかし間違っているのはじつは労働者育成という目的に隷属されられた学校教育を「是」とした、大人たちの幼稚さだったのです。

 

集中するな。

 

よく「気晴らし」ということを言いますが、これは英語で「ディストラクション」というのだそうです。

病院などでも入院中の子どもに遊ばせることをディストラクションというそうで、これをすることで事後経過が良好になることが多いのだそうです。

心理学でもさまざまなストレスを緩和させるのに「ディストラクション効果があること」が必要であるとしているようです。

まあつまり、気を散らせ、っていうことですね。

集中しないのは、健康に良い。

 

根本的な勘違いをまず、是正せねばならない。

集中すること = 善

この誤った方程式を捨てて、

集中すること = 善悪半々

という「正しい」方程式をハラに叩き込む必要がある。

 

よく風水などでも仕事場のレイアウトなどについて「集中」ということをまさにバカの一つ覚えのように提案してきます。

風水では「背後に壁」「目の前にモノを置かない」などの処置によって集中力向上をめざします。

そうすればたしかに、集中力は高まる。

しかし「集中しすぎるとどうなるか」というところまで考えている風水師はいなかったのでした。

風水を語る人々も例の「学校教育方針」あるいは「産業革命思想」に汚染されていたのです。

 

おかしいなあ、と思っていたのです。

風水が言うことをガン無視して「目の前に本棚」などというどう考えてもよくないレイアウトにするとむしろ体調がよくなって元気になり、仕事が楽になって、結果的に相対的な効率がアップすることを何度も経験しました。

理由はかんたん。

気が散るのです。

気が散ることでしぜんと「ディストラクション効果」を得られていたようなのです。

集中できないのでぼうっと窓の外を見たり、しょっちゅう席を立って外に出たりします。

風水師どもは「それがよくない」などとヌカしよるのです。

なんとまあ、不自然な思想であることよ。

人間はもともと集中しないようにできているのです。

それをすると、たいへん危険だからです。

あちこちに注意がとび、意識が一箇所に固定しないように「わざと」設計されている。

これを「冗長化」という。

冗長性をぶっこ抜いて一点集中ばっかりやっていると、神経がオーバーヒートしてしまう。

それを防ぐのが、気を散らすということなのですね。

 

世の中には、集中することが苦手なまま大人になった大多数の「自然なひとたち」と、幼少のころから思わずどっぷりと集中してしまう少数派の「不自然なひとたち」がいます。

そのどちらに、じぶんは属しているだろうか。

 

・集中すると呼吸を止めてしまいがち
・やりかけたことは最後まで一気にやってしまいたい性分である
・歯を食いしばる癖がある
・集中すると物音や気配なども一切感じなくなることが多い
・集中するとお腹がすいていることさえ忘れることがある
・凝り性である

 

上記のような特性があるひとはおそらく「少数派」に属しているだろうと思います。

そういうひとがメジャーな「集中力向上」などの努力をすると高い確率で「神経パーン!」になっていくと思うのであります。

すべての方法にはターゲットがある。

ターゲットに合わない方法の実行は破壊行動とほぼ同じである。

「集中しない練習」「集中できない環境」が必要なひともいる。

 

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