我が家のイヌは17歳で、かなりのオジーチャンになった。
彼を見ていると、
「人間も、同じだなあ」
と思うことが多い。
イヌもヒトも、脚が弱ってくるともうダメのようである。
我が家のイヌも、階段を登れなくなったあたりから急激に老け込んでいった。
最近は、散歩の帰り道ではもうヨタヨタで、たまにクラっと倒れそうになることもある。
もうおそらく、先が短いのだろうと思う。
聞くところによれば、ウマやウシも同じなのだそうだ。
脚が弱くなると体力を失って病気がちになり、死が近づいてくる。
逆に健脚だと死が遠のくようである。
動物だけでなくヒトも脚が弱ると早々にくたばってしまうようだ。
有名なところでは、90歳になってもステージに立っていたという森光子さんは1日にスクワットを150回していたそうだ。
90歳間近だというのに、いまだに「徹子の部屋」で元気に司会をしている黒柳徹子さんも、毎日足腰を鍛えているそうである。
ぼくのご近所でも、車に頼らず徒歩で毎日買い物に行っているご老人は、すべからく元気である。
逆に日常生活をクルマやバイクに頼っているひとは、日頃は元気でも、「ある日突然」急激に老け込み始め、入退院を繰り返すようになる。
医学的にも大腿四頭筋(太ももの前の筋肉)の強さと心臓の強さは比例するという話もあるそうだ。
やはり脚はいやというほど鍛えておいたほうが良いのだと思う。
脚の強さは、いのちの強さ。
脚の弱さは、いのちの弱さ。
脚はそのまま「いのち」と直結しているのだと思う。
いのちは脚と直結しているが、おなじように「こころ」は「背中」と直結していると思う。
背筋力の強さは、こころの強さ。
背筋力の弱さは、こころの弱さ。
ぼくの周囲でもウツになるひとは非常に高い確率で背中が丸くなってしまっている。
体幹が重力に逆らえないほど弱ってしまっているのである。
いっぽうで旺盛な背筋力を持ち、四六時中ピシーっとした姿勢をしているひとは、もはや下品なほどに心が強いひとが多い。
こころが強すぎて嫌われていることさえある。
オーラが強すぎると、敵を作りやすいのかもしれない。
しかし実際には彼らはなにも困ったことにはなっていない。
なぜならば、彼らは「嫌われていることすら気にしない」という強靭な精神を持っているからである。
そしてなぜか、運も強いのである。
彼について四の五のほざいている者のほうが結局いろんなことで苦悩し、トラブルに見舞われている。
嫌われ者よりも、人を嫌う者のほうが、断然運が悪くて心も弱いのである。
だから思う、人に好かれようとしたら運が悪くなり、気が弱くなるのだな、と。
気の弱いやつらが言うことは、もう金輪際聞かないようにしよう、と。
こころが弱ってくると背中が丸くなり、
背中が丸くなると、こころが弱くなる。
このことは、どうやらかなり確実な現象のようである。
背中が若干丸くなりはじめたことを「背中に哀愁が漂う」などといって、これをすこし良いことにようにしようとする向きもあるが、たぶんやめておいたほうが良いのだと思う。
弱さを肯定した瞬間に、弱さに飲み込まれてしまうからである。
筋トレをするようになって、ほんとうによくわかった。
同じ人間でもお酒を飲んだときと飲まないときは考えることが大幅に違ってくる。
じつはそれと同じぐらい、筋肉量は精神に影響するのである。
筋力が低下しているときに考えていることと、筋力が高まったときに考えることは、なにもかもがちがう。
もはや同じ人間だとは思えないほどに、ガラっと変わってしまうのである。
人間は複雑怪奇で精妙なシステムを持ついっぽうで、おどろくほど単純なシステムも持っている。
そして心身の強靭化に直結することは、ほとんどが単純なシステムによるのだった。
なにが哲学じゃ、なにが倫理じゃ、なにが教育じゃ。
ほんとうに思う。
そういうのは結局、ほとんどが「いいわけ」なんだ。
もう、いいわけはたくさんだ。
考え方なんかで自分自身を変えることなんかできない。
いくら本やネット記事を読んだって、なにも変わらない。なにもよくならない。
本やネット記事なんか読めばあたまのなかによけいなゴミがたまるばかりで、かえって物事は悪化する。
その本を読む自分自身が変わっていないのに、読んだってなにも変わるわけがないじゃないか。
からだを強く変えなければ、こころもなにひとつ変わらない。
本を読むよりも、そのへんを走り回っている方が知恵がつく。
情報はこころを穢し、汗はこころを磨くのである。
とくに脚と体幹だけは、いかなる理由があろうとも鍛えておかねばならないのだろうと思う。
不思議なことで、体幹が強化されると腕などもほぼ同時に強化されるようである。
腕なんかなんにもトレーニングしていないのに、きゅうに握力が強くなったりする。
しかし、いくら体幹を鍛えても脚はあまり強くならない。
逆に脚を鍛えれば体幹はある程度鍛えられる。
しかしこれも限度があるので、やはり胴体と脚はそれぞれ別個に鍛えるべきなのだろうと思う。
脚を鍛えれば、いのちが強くなる。
胴体を鍛えれば、こころが強くなる。
これはおそらく、鉄板である。