そろそろ山登り行きたいなあ!
なんて思い始めまして、それで何か登山的なことをテーマにした映画とかドラマないかな?
と思ってAmazon Prime Video で探してみたりしておりました。
そこで見つけたアニメを見て、ぼくは愕然としたのでありました。
「ゆるキャン△」
つまりは女子高生がキャンプをする話で、いわゆる「日常系」といわれる特にドラマチックなこともない可愛らしいお話です。
しかしぼくはこれをぼうっと見ていて、感動をしてしまいました。
いやべつに、主人公の女の子に萌え萌え〜、きう〜〜、とかいうそういうのではありません。
そうではなくて、
「そうだ、こんなのでよかったんだよな」
っていう、なんか思い出したような感動。
登場する女の子たちはアウトドアのプロというわけではなく、競っているわけでもなく、ただただ純粋にアウトドアを楽しんでいる。
そうだ、アウトドアの何が楽しいか、それは達成感だけじゃなかったはずだ。
小学生のときから山の中で遊んでいたのもあり、山登りなどのアウトドアは好きです。
パニック障害とかになる以前は、それこそキャンプに行ったりもしてました。
しかしパニック障害になり、悪化して外出恐怖症まで発症してしまってから、ぼくは好きだった山登りへの態度が一変してしまっていたのです。
山登りやピクニックを「楽しみたい」という願望を「病気を治したい」という目的が凌駕してしまったのであります。
だから数年前とつぜん山登りを再開したとき、GW中に六甲山系全山の三角点踏破、などという暴挙も実行していました。
そのときの自身の「こころのなかみ」を思い出して、ぞっとした。
一部のスポーツ的なものを除けば山登りというのはレクリエーションの一種です。
しかし当時のぼくはまるで「修行」のように山を登っていました。
森林の中でパニック発作を起こし、それでも根性を振り絞って山頂を目指して歩いていました。
発作中に豪雨や雷に見舞われて、ずぶ濡れになって発作と格闘していたこともあります。
負けるな、負けるな。
じぶんに負けるな。
殺すなら殺せ。
そう言い聞かせつつ、結局5日間でほんとうに全山制覇をしました。
その後数日間、高熱を出してぶっ倒れましたが……。
楽しくなかった。
ぜんぜん楽しくなかった。
もともと大好きな山なのに、それ以降ぼくは、山が嫌いになってしまいました。
嫌いというよりは怖いというほうが良いかもしれません。
もう、こりごりだ。
そんな気分になってしまったのでした。
もともと大好きだったのに、嫌いになってしまう。
それはたいへん残念なことであります。
せいぜい100年前後しか生きていられない人間にとって、好きなことがあるというのはとても幸福なこと。
その好きなことが、嫌いになってしまう。
これは残念、残念、たいへん残念なことであります。
そうだった。
山を登るのは、とっても楽しいことだった。
うまい空気、きれいな景色、見たことのないような草花、虫や動物たち、堂々たる巨木、奇岩、お寺や神社などなど。
そんなものには目もくれず、ぼくは三角点だけを見つめて一直線に突進するように山をよじのぼった。
休憩中には栄養補給・水分補給・体力回復だけに集中していた。
そして達成した、全山踏破。
何が残ったか?
達成感はあった。
でもその達成感による高揚は、数日で消えた。
目的としていた「パニック障害を治す」ことは、残念ながら実現できなかった。
残ったのはぼろぼろになった靴と、ぼろぼろになった体と、山を嫌いになってしまった、ぼろぼろのココロでした。
「いま」を見ていなかったんですね。
山を登っているという「いま」を生きていなかった。
三角点という未来、病気治癒という未来ばかりを見ていた。
未来は「いま」の累積である。
「いま」をないがしろにしていたから、未来も生まれなかったんだ。
ストイック・クレイジー。
当時のじぶんを振り返って、そんなキャッチコピーを思いつきました。
狂っていたのです。
ほんの数日しか効力のない達成感のために「いま」を捨て、つらいことを乗り越えること、じぶんに打ち勝つことばかり考えていた。
ぼくは、ぼくと喧嘩をしていたんですね。
これからやる山登りは、「ゆるキャン△」の登場人物たちのように「山登りそのもの」を楽しもうと思いました。
玄人にまさるのは、偉大なる素人だけである。
なにかを得るためにする登山は、もう登山ではない。
功徳を得るために行う座禅はもはや禅ではない、というのとまったく同じですね。
あおぞらの下、草いきれの空気のなかで汗をかき、息を切らせて、うまいメシを食う。
下界では見られない、まぶしいほどの満天の星空にうちふるえる。
それでいいじゃないか。
というか、それが、いいんじゃないか。
もっと気楽にいこう。
達成することではなく、何かを得ることではなく、楽しむことこそに貪欲になろう。
これは山登りに限らずどんなことでもそうですね。
これを忘れてしまうことを「狂気」というのだと思います。