計画も準備も、やめちまえ

ぼくは思わず、自分のヒザをハタと打ったのであった。

そうだった。

思い出した!

 

ぼくがなんだか調子悪くなって、体調についてグジグジいうようになったのは「計画」「準備」を重視するようになってからだった。

そして体調と同様に、人生もなんだか思うように進まなくなっているように感じていた。

 

冗談じゃない!

なんて無駄なことを!

「計画」「準備」に比重を置きすぎると、「あらゆることが」ダメになっていくのだった。

若い頃のぼくはこれに直感的に気がついていて、意図的に計画や準備をしないようにしていた。

なぜ直感的に気がついたかというと、まずは柔道である。

柔道は中学生のころから10年間続けていたけれど、あまり強くなれなかった。

しかしある日を堺にわりと強くなってきて、黒帯もすんなりとれた。

理由は、とてもかんたんだった。

計画や準備を、全部放棄してからだった。

試合に挑むときに、四の五の考えていると、どんどん緊張していってしまう。

そうなると実力をほとんど出せないままに体力が枯渇して、結局負けてしまうのである。

試合の当日は、だからなんにも考えないようになった。

なんにも考えないことができないときは、数学のことを考えたりしていた。

「いままで積みあげて来たことを、いまこそうまく使おう」

などというしゃらくさいことを考えていたら、確実に負ける。

それよりも、ほんとにバカみたいだけれども、試合の「はじめ!」の掛け声を聞いた瞬間にハタと試合であったことに気が付き、ぶっつけ本番的に戦ったほうが、圧倒的に勝率が高くなるのだった。

これは当たり前で、いちいち考えるということは、相手の動きを予測するということである。

ということは、予測外の動きや技には、即座に反応できない。

なにも考えず、いきなりぶっつけ本番のほうが「この瞬間」をよく見て集中するから、柔軟な反応をしている。だから勝率が高くなるのだった。

相撲でも、いうらしい。

「稽古は本番のごとく、本番は稽古のごとく」

 

仕事でも、そうだった。

万事抜かりなく資料を準備し、ロールプレイングまでやって挑んだ商談は、全滅した。

しかし本番直前までコンビニでエロ本などを立ち読みして、今後の展開など一切考えずに商談に飛び込み反射的に進めて行った商談は、うそみたいによく決まった。

理由は単純で、柔道と同じである。

考えていないぶん、相手の話をちゃんと聞いていて、正しく応答し、正しく反応しているからである。

考えて考えて商談に挑むと、こちらの思惑の「押し売り」になり、そこに正しいコミュニケーションが生まれていないのだった。

 

旅行も、そうだ。

行きと帰りの飛行機だけしっかりと決めて、途中は完全にフリーにして行ったインド旅行は格別だった。

杞憂ということばが真理であったと悟れるほどに、無計画旅行にはトラブルは起きなかった。

ホテルなんかとらなくたって、なんとでもなった。

どこでメシを食えば良いのかわからなければ、現地のひとに聞いた。

そして現地のひとが教えてくれた店は、ものすごく美味しいところもあれば、クソまずいところもあったが、それはそれでまた、旅の醍醐味でもある。

ガイドブックには、「美味しいお店」は乗っていても、「クソまずいが、親父さんがムチャクチャ面白い店」は、載っていない。

これに味をしめて香港、タイ、韓国なども同様に完全無計画、宿さえ予約せずに飛び回ったが、これも非常に楽しかった。

日本人は誰も行ったことがないようなところに迷い込んだり、ガイドブックでは絶対に教えてくれない秘密の場所も知ることができた。

現地のひとと濃いコミュニケーションをとれたし、タイで知り合った少女とは日本に帰国してからもしばらく文通をしていたほどだ。

写真はあまり撮らなかったけど、こころにしっかり、思い出が残ってる。

しかし計画をしっかり立てて行った旅行は、それらに比べて1/10以下の楽しさしか得られなかった。計画性のある旅行は、旅ではなく「通過」「タスク潰し」に過ぎなかった。

写真はたくさん撮ったけど、意外と思い出が残ってなくて、時間に追われている日々は日本の日常と何ら変わらなった。

寝たいときに寝て、起きたいときに起き、腹が減ったらメシを食い、食えなかったら食わない。

それが旅行の基本であって、タイムスケジュールに沿った旅行なんて「景色のいい刑務所」と大して変わらないのだ。

 

日々の生活だって、そうだった。

忘れていた。

準備して、計画を立ててから対峙する毎日なんて、ほんとうに、くだらない。

そんなことをしていたら予想外のことが起きたとき、ただただうろたえてパニックになるか、機嫌がわるくなるだけだ。

毎日が、ぶっつけ本番。

だからこそ、アドリブも効く。

人生とはアドリブの連続である、と誰か演劇の偉いひとも言っていたように思う。

人生とは旅だともいうから、無計画な旅のほうが有益なのと同様、無計画な人生のほうが有意義なんだと思う。

 

恋愛もそう。

いろいろ条件を考えて、先のことも考えて相手を選んだら、付き合い始めてから「後悔」が目立ってきてしまう。

考えなくても後悔して、考えても後悔するのなら、考えないほうがマシだ。

本能に従って始めた恋のほうが、断然長くつづくし、たのしかったりする。

そしてまた、考えずに始めた恋には、意外と後悔が少ないものである。

 

だから、

準備も、計画も、やめちまおう。

そんなことばっかりしてるから、毎日がカッサカサになって、つまらなくなるんだと思う。

計画し、準備しないと動けないのは、臆病だからではない。

バカだからである。

バカだから「混沌」を理解できないだけのことである。

蓮の華は、混沌に咲く。

 

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