萌えるちから

ある日突如として「エロくならなければ!」と覚醒した

この覚醒により、エロい親友に相談してエロくなるための方法論を実行したが、失敗した。

そして親友からは「おまえにはエロくなる素養が欠けている」とまで言われるしまつであった。

 

エロの素養がないというのは、なんか悲しい気がする。

精力や性欲の減退というのでさえ少し男としてダメになってしまったような気がして残念なものなのだが、それどころか「素養がない」と言われてしまったのである。

いっしょうけんめいサッカーの練習をしていたのに監督から「お前には才能がない」と言われてしまったような絶望感を感じる。

ぼくは深く傷つき(ウソだけど)、深く悩むのであった(ウソだけど)。

ぼくはいったい、どうすれば良いのであろうか……。

とすこし考えてみたのは、ホントウである。

 

で、すこしだけわかったような気がした。

かの親友には「エロの素養がない」と判定されたのだが、これは正確には「『萌える』能力が低い」ということだったのかもしれない。

どうやらこの世には「萌える」という心的状態があるそうなのである。

これは一般に、異性に対して抱く可愛いとか愛おしいとか守りたい、助けたいとかの強い感情のことを指すようである。

一種の母性もしくは父性本能に類することなのだろうか。

またここでいう異性は現実の異性のみならず、人によっては映画やアニメ、マンガ、小説などのキャラクターさえも含まれる場合があるそうである。

イヌやネコであれば、絵や物語などの代数的、記号的な存在にコーフンすることは決してあるまい。

これはきっと知性を持つ人間ならではの現象といえるだろう。

知性を持つがゆえに、記号にさえも愛の感情を持ち、「萌える」ことが可能なのである。

そしてこの「萌えるちから」が強大な人というのは、エロパワーもまた絶大であることが多いようである。

 

ちなみにヨーガでは眉間にある「アジナー・チャクラ」は知性を司るチャクラとされており、このチャクラは性的パワーを司る「ムーラダーラ・チャクラ」という尾てい骨のチャクラと一対の関係にあり正比例的に影響するとされている。

もしこの説が正しいとするならば、「知性の高い人ほどエロい」という図式が成り立つことになる。

ぼくは大学時代心理学を専攻していたが、実際に頭の悪いひとほど性に対して関心が薄く性的な能力も低いという社会心理学的な統計があったように記憶している。

このあたりの座標から眺めてみたとき、ぼくは愕然としたのである。

親友に「エロの素養がない」と言われたぼくは、もしかすると「知能が低い」ということなのではないか!?

知能にはIQとEQの2種類があると聞いたことがある。

過去に受けたIQのテストでは、ぼくはとくにその数値で低いという結果はなかったので、ぼくの場合は「EQが低い」のではないだろうか。

EQとはEmotional Intelligence Quotientの略で「心の知能指数」ともいわれる。

端的にいえば、どれだけ情緒豊かな心を持っているかを計測するための指標のことである。

 

情緒がない、のかもしれない。

これは自覚するところでもある。

いいふうにいえばクールなのだが、わるくいえば「冷たい」ところが、ぼくを含めわが家系には厳然としてある。

むろん全く人の感情を持ち合わせていないというわけではないのだが、一般的な情動反応を「常識」と照らし合わせ、いまは悲しむべきときだから悲しむ演技をしよう的な、そんな計算ずくの反応を行っているところがけっこうある。

先般飼い犬が死んだときも、その日はそこそこ悲しんだものだが、3日もするとなんでもなくなっていた。

「ま、生き物は全員死ぬからな。んなもん当たり前じゃ。」

みたいなことで早々に納得し、けっこう諦めがついてしまうのである。

ほかにも基本的に常識や倫理的保守事項および役割などとの照合や損得勘定によって行動を規定するところが多々あり、エモーショナルな衝動で行動する傾向が希薄である。

やさしいというよりも、やさしくすべきだからやさしい行動を優先している、という感じである。

鉄面皮とまではいかないが、情動反応が一般に比べてかなり少ないという特徴があることは自覚している。

 

だから「萌えない」のである。

アニメやマンガなどの虚構のキャラクターを可愛いなどとは一切感じなくて、その理由はそれがら「つくりもの」であり「虚構」であり「絵」だからである。

そんな記号論的な存在よりも、ぼくはまだスーパーのレジ打ちをしている妙齢のオバちゃんのほうが可愛いと感じる。エロスを感じる。

その理由は「実物だから」である。

このあたりにEQの低さが垣間見える。

イヌネコと同じく、実在する異性の形状、言動、ニオイ、手触りなどによってのみ精神に刺激が至るのである。

 

いかん。

いかんなあ!

これはすなわち「ヒトとして欠落しているなにか」があるのではないか!

と思い、また例の親友に相談してみた。

「『萌える』ちからを鍛えたいのだが!」

そうすると例の親友は「待ってました」とばかりに、いくつかの「萌えるマンガ」を紹介してくれたのだった。いいやつである。

 

・五等分の花嫁

・からかい上手の高木さん

・かぐや様は告らせたい

・古見さんはコミュ障です

・カッコウの許嫁

 

このあたりのマンガは「ラブコメ」という分野に属するものなのだそうである。

先日からiPadで読んでいるのだが、驚いた。

そもそもマンガなどほとんど読まずに生きてきたので、ぼくの中ではマンガというのは「天才バカボン」「ドラえもん」「火の鳥」などの数種類だけだった。

しかしマンガは今や、非常に高度な発達を遂げているのであった。

話じたいも非常に面白く、絵もかなり緻密で写実的になっている。

結果ぼくは「泣いてしまった」のである。

感動して泣いてしまった。

ええトシこいてマンガで感動して落涙するなど想像だにしていなかったのだが、よかった。

ぼくにもまだ「ひとのこころ」がちゃんとあったようである。

 

すべて読破した結果、ぼくは強く強く感じたのである。

男って、すごい!

ということを。

上記のマンガに出てくる女性は確かに魅力的なのだが、これに「萌える」ということなのだそうである。

キュンキュンするのだそうである。

 

整理してみた結果(ワシは何をやっとるんじゃ)これらのキャラクターは、おおむね以下の類型分類のどれかに単一的・複合的に属するようである。

 

・やさしくて素直

・気が強く乱暴

・気が弱く陰気

・陽気で元気

・真面目で賢く常識的

・不真面目で非常識

・勝ち気

・おっとりしている

・お姉さんっぽい

・男のような喋り方

・じつは男

・年下っぽい

・内向的

・外交的

・貧乏

・金持ち

・バカ

・変質者的

・大食い

・胸が大きい

・胸が小さい

・背が高くスタイルが良い

・背が低く幼児体型

 

これらの性格や容姿については、どうやら人気が偏っているということでもないらしい。

わりと均等に分散して根強い人気があるようなのである。

普通に考えれば「気が弱く陰気」などは、それがあるだけで決定的に嫌われても致し方のないような気もするが、そのようなキャラクターもわりと人気が高いようである。

 

すごい。

何がすごいかというと、こういう類型に所属する女性に「萌える」というのなら、それはおのずと以下のような結論に至るからである。

 

 

 

「なんでもええんかいワレ」

 

 

 

なんでもいいんだなあ。

男って、すごいよなあ。

なんでも、いいんだもんなあ。

「陰気で暗くて変質者的で胸が小さくて幼児体型」でも、「萌える」ことができる人は、けっこう多いそうである。

しまいには「じつは男」でも良かったりするそうだから、そうなってきたらもはや性差さえ超越してしまうではないか。

博愛主義とさえいえるのではないか。

 

ぼくは劣等感を感じる。

ぼくが「萌えるちからが弱い」のは、理の当然であったと頓悟した。

たとえば、気が強く乱暴だがふとしたときに弱さを見せる性向を「ツンデレ」というらしい。

しかしぼくは、そのような人間はあまり好きではない。

鬱陶しいとさえ思う。

エラそうにヌカっしょったらそのうち男でも女でもハッタオスぞワレ、と思う。

お前は何様なんじゃコラ、と思う。

そんな輩がふとしたときに弱みを見せたら「ザマミロ」と思うし、その弱点を追撃して再起不能にしてしまおうかとも思う。

しかし「萌えるちから」が強いひとは、むしろそのような人にも「キュンキュンする」のだそうである。

「萌え死に」しそうになるのだそうである。

いいなあ。いい人だなあ。

そういう人はやはり、かなりEQが高いのだろうか。

 

しかし、こうも思った。

上記のマンガで感動して泣くことができたぼくは、まったく才能がないというわけでもないのではないか。

もしかするとこういうのも、一種の「慣れ」なのかもしれない。

しばらくこういうマンガに接していれば、そのうち「内向的で貧乏で変質者的でエラそうでバカな貧乳」にも「萌える」ことができるようになるのかもしれない。

そうなったらもはや、世界最強クラスのEQなのではないか。

もはや聖者とさえいえるのではないか。

ふつうに美人で優しくて賢い巨乳が好き、とか言っているようでは、まだまだ修行が足らないのかもしれない。

 

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