もう、政治がわかならい。

意味のない、ただの愚痴である。

なんかもう、政治がわからないんだよなあ。

今月末に選挙があるんだけれども、もう行くのやめようかな、なんて思ってしまう。

 

いちおう行くつもりだったので、動画などで立候補者の主義主張を見ていた。

すると、なんだろう。

この違和感は、なんなんだろうか。

まあぼくの理解力が乏しいというのが一番の原因だとは思うんだけれども、話がなあーんにも頭に入ってこんのである。

なにゆーとるんか、さーっぱりわからんのである。

いや、正確には、何を言っているのかはわかる。日本語だし。

でもなあ。

なんかこう、心に響かないっつうか、気持ち悪いつうか、違和感を感じる。

 

いちばんの原因はもしかしたら「メリットばっかり言う」からじゃないのかな、と思ったりした。

わたしに、うちの政党に票を入れてくれたら、あなたに、国民に、こういう利益がありますよ!

だから票入れてくだっしぇー、当選させてくだっしぇー、みたいな。

うーん。

これって、なんていうか、バカにされてるような気がするんだよなあ。

とくに野党は、現行の政治では国民に利益が乏しいとして、国民の利益になるようなことを「政策」と称していたりする。

 

なんだか、こんなふうに言われている気がするのである。

 

あななたちは、可愛そうなんです、不幸なんです。

損してるんです、苦しんでるんです。

だから、私たちが救ってあげます。

 

 

………。

 

ううむ。

じーっと黙想して考えてみた。

すると心のなかに、ある想いが、まるで早朝に勃起するイチモツかのごとく、ムクムクと生え上がってくるのである。

それはまさに、心の叫びである。

 

 

うっせえ余計なお世話だ

 

 

じゃかーっしゃあ。

なーにを勝手に、おれが不幸だと決めつとんじゃいバーロー!

「あれあげます、これあげます」

なんなんじゃお前は!

誘拐犯か!

 

そういえば、政治家の橋下さんがこんなことを言っていた。

 

交渉において相手を思い通りに動かし、説得していくには、はっきり言って三とおりの方法しかない。

「合法的に脅す」「利益を与える」「ひたすらお願いする」の三つだ。その中でも、もっとも有効なのが、「利益を与える」である。

 

え、なにそれ。

なんなん、「交渉」してるん?

交渉だから利益をチラつかせてんの?

政治って、いつからディベートになったん?

ていうか、いっちばん大事なのが抜けてるんじゃないのか。

こころを動かす」っていうのが。

 

 

票を獲得するためには、国民にメリットを与える必要がある

贅沢にメリットをいっぱい掲げた公約をする

期待して投票する

当選する

しかし、公約が贅沢すぎてなんにも達成できない

国民が失望する

これを繰り返すことで、政治に興味を失う

 

 

このような流れで進んでいっているように見えるんだけれども、この構造は営業活動とよく似ている。

それも相当なクソ営業マンの活動である。

大判風呂敷の大言壮語でお客さんを説得して受注したものの、結局難易度が高くて納品できず信用を失い、大問題に発展する。

こんなやつぁ、クビである。

本人どころか、会社の信用まで失うからである。

あぶない。

 

クソ営業マンに共通していえることは、お客さんが「欲している」ことと「必要なこと」を混同してしまっていることである。

また基本的にプロダクトアウト型で、お客さんのニーズを勝手に決めつけたりする。

目先のメリットばかりを大量に訴えかけるのに、それを実行するとどのようなデメリットが起こるかは隠蔽する。

いいことばっかり言うのである。

「お客さん、困ってますよね〜、そうですよね〜、大変ですよね〜、ラクしたいですよね〜」

などと甘言で誘惑する。

基本的に「売り逃げ」で、とにかく売れればもうそれでいいと考える。

しまいには、ウソまでつきだす。

そうしたら、購入したのに目先のメリットさえも何一つ得られなくなって、お客さんは失望、信じなくなり、しまいには激怒する。

 

いっぽう有能な営業マンは、甘言など使わない。

目先のメリットではなくお客さんにとって「本質的に重要で必要なこと」を分析し予見して、それに必要なサービス等を設計して提供する。

ときには、甘い考えをしているお客さんを叱責することさえある。

しかしそうすることで根本的な部分の問題が解消し、結果的にはお客さんの会社が良い方角へ向かうので、非常に高い信用を得る。

「いやあ、もうあなたでないと発注しません」

みたいになっていく。

まさに「三方よし」であって、一種の理想形でもある。

 

まあ政治と商売は全然違うだだろうから、このことで比べるつもりはない。

しかし、完全に共通していることがある。

「相手は『人』である」

ということである。

訴えてくるメリットを信用してお願いしたら、結局はできませんでした。

できなかったことについて、いろいろ言い訳をして、あのひとがわるい、邪魔された、理解してもらえなかった、伝え方がわるかった。

こんなのを繰り返し見せられて、だれが信用するん。

こんな状態なのに、「もっと政治に興味を持て」とか「投票は義務だ」とか、ドグマに洗脳された白痴みてえなことを言ってんじゃねえよなあ。

 

盛大にスベっておいて、ごめんなさいの言葉もなしに、また性懲りもなく、またおんなじようなことを言って選挙に出てくるの。

正直、たいしたタマだとは思う。

たいしたタマではあるが、もはや黙っていてもうっかり顔に出てしまうぐらいの強烈な感情は消えないのである。

 

どのツラを下げて出てきよんな、おまえは

 

ナメられてるのかなあ。

「メリットがないと投票しない」みたいな。

そんな乞食みたいなひと、最近はすくないんじゃないかな。

国民の知能指数もどんどん上がってるらしいし・・・

 

 

以下はぼくの希望である。

甘ぁ〜いメリットばっかりチラつかせてくる山師みたいなんじゃなくて「叱ってくれる政治家」がいたらいいなあ。

ケネディさんの演説が、ぼくはいちばん政治家らしいと思う。

 

国があなたのために何ができるか、を問うな。

あなたが、国のために何ができるかを問え。

 

 

民主主義というのは平等だといわれる。

だから政治家と主権者には差異はない。立ち位置は平等ということである。

それならば「政治家は努力するが、国民は努力しなくていい」なんていう理屈は絶対に成り立たない。

なのにいまの政治家はどういうわけか、ゲヘヘ、いやあ、アタクシたちみなさんの奴隷でごわんして、このとおり平身低頭っす。票おくれなまし、票おくれなまし。

みたいな、乞食もしくは空腹のイヌみたいな愛想でニジリ寄ってくるんだよなあ。

いやだなあ。

きもちわるいなあ。

 

個人的には、いまの日本に必要なのは「国民の生活」のまえに「団結」じゃないかなあと思ったりする。

みんな、じぶんのことばっかりで、社会や国のことをあんまり考えなくなってしまった。

わたしが国になにをしてもらえるか、ではなく、わたしが、国になにができるか。

そういう民主主義の根本のようなことを思い出せって、あたまごなしに叱りつけて、目を覚まさせてくれるひとが必要なんじゃないかなあと思う。

国民に何を与えられるかを叫ぶんじゃなくて、大声で国民を鼓舞してほしい。

もっと、興奮させてほしい。もっと、熱狂させてほしい。

おまえたち、目をさませ!

って。

 

でもまあ、そういうふうに「させてほしい」っていうのは、他力本願なんだよなあ。

これはこれで、だめなんだろうな。

やっぱり自力で興奮しないといけないのかな。

自力で興奮するとか、いいのかな。なんか卑猥だけど。

とくに何もきっかけはないけど、きゅうに勝手に熱狂してみようか。

でもそれって、おかしいんじゃないかな。

ちょっとした、一種の病気なんじゃないかな。

いいのかなあ、そんなので。

 

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