革を可愛がる

革は可愛いなあと思う。

 

とくに「ヌメ革」と呼ばれる、ほとんど加工されていない真っ白な革が、使っていくうちにだんだんアメ色になってついにはほとんど焦げ茶色になっていく過程というのは、なんというか「たまらん」ものがある。

ぼくはちなみにジーンズもリジッドといわれる真っ青のガチガチのやつから履いて慣らしていくのが好きだし、木の家具とかも「無垢」といわれる無塗装のものが徐々に経年変化していって茶色くなっていくのが好きなのである。

すでに経年変化している状態を模倣したものもよく売られているが、ぼくにはどうもそういうのは「邪道」のような気がして、あまり欲しいと思わない。

母型の「農家の血」によって、「育てる」のが好きなのかもしれない、と思うことがある。

またいっぽうで、こういうのは「処女好き」のような、女性に対するある種の性癖が関係しているという説もある。

しかしぼくは処女だけでなく、中古の女性もわりと好きなほうである。

かなり使い古されていても問題ないと思えるタイプである。

たしかに中古の女性も好きだが、処女も好きなので、性癖説は合っているともいえるし合っていないともいえる。

そのへんあやふやなので、いちおう人前では「育てるのが好きだ」と言うことにしている。

 

2年ほど前に購入したヌメ革の「バイカーズウォレット」は、最初はナマ白く頼りない顔色をしていた。

 

 

しかし2年を経過すると、まるで日に焼けたかのような精悍な顔色になり、最初の頃より元気になったようにさえ見える。

 

 

ヌメ革というのは、何もしなくてもただ使っているだけでいい感じになっていくそうである。

しかし上記の財布は、じつは「何もしなかった」わけではない。

使い始めのころは窓辺に置いて毎朝日光浴をさせ、2週間ほど経ったところで「ニートフットオイル」というのを塗った。

ニートフットオイルというのは皮革用の油だが、タンニンという成分が含まれているので、ヌメ革に使用すると紫外線で化学変化を起こして茶色く変色していくのだそうである。

 

だからすこし、罪悪感を感じている。

ほんとうは、そういうチートをしてはならないのではないかと思う。

オトコならば、皮革用油などというシャラクセエものを利用するのではなくただワイルドに使用し、おのが手の脂とおのが手の汗、および日常生活における汚泥によってのみ革を育成しなければならないのではないか。

わが子の育成に例えるならば、まるで裏口入学をさせたかのような、非常にズルい生き方をさせてしまったのではないかと考えてしまう。

 

ズルいのかもしれないが、このように油を丁寧に塗り丁寧に磨くというのは、所有者にとっては楽しいものである。

油を塗り日々撫で回していると、だんだん可愛くなっていくのである。

何もしないよりもこうして手をかけたほうが、より可愛いく感じるのであった。

じっさいには学歴詐称をさせているのかもしれないが、それでも可愛く感じる。

まあ、手を入れたとしても「茶色い塗料」を塗ったわけではなく透明の油を塗っただけだし、それに毎日実際に使用していることは事実なので「詐称」というほど悪いことはしていないのかもしれない。

使うわけでもないのに、ただ「ヨシヨシ」といいながら(いわないが)手で撫で回していることもある。

そうするとさらに、可愛く思えてくるのである。

 

最近はモノの流通においては大量消費・大量廃棄ということがけっこう社会問題になっているようである。

その点、革製品というのは良いと思う。

新品のときよりも使い古したほうが味が出て「良くなっていく」ことも多い。

こうして丹精込めて育て上げた財布を持っていると新品の財布がダサく見えて、そっちに浮気をしなくなるものである。

女房と畳は新しいほうが良いというコトワザもあるが、革製品については新品よりも使い古したほうが圧倒的に良いと思う。

生活に、からだに、こころに「馴染んでいる」からである。

そういう意味では、ほんとうは女房も使い古したほうが良いのかもしれないのだが、それならばなぜオトコは浮気をするのかという哲学的課題に突進していく可能性があるので、そのへんはまあ、あまり深く考えないことにする。

 

ちなみにニートフットオイルは月に1回程、ごく度薄く塗るのが良いそうである。

あまり大量に塗ったり頻繁に塗るようなことをすると、革が柔らかくなりすぎて傷みやすくなり、壊れやすくなるそうだ。

「手をかけすぎてはいけない」「可愛がりすぎてはいけない」というところも、革製品とわが子とは、よく似ている。

 

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