ふと思ったんですけど、スポーツというのはほんとうに陰湿だと思うのですね。
スポーツの醍醐味は、勝利です。
勝利があるということは、敗北があるということ。
スポーツについて、いろんなひとが、いろんな屁理屈をこねわましているけれど、スポーツというのは一言でいえばすべて「大・いじわる大会」なのです。
正々堂々などという、手触りの良い言葉を使ういっぽうで、じつは敵にはものすごい意地悪をします。
相手の嫌がること、困ることを、せいだいにやる。
まあ当たり前といえば当たり前で、たとえばテニスなんかで「相手が打ち返しやすいところ」にボールをわざわざ打ってあげていたのでは、試合にならない。
しかし「正々堂々」をのたまうのであれば、ほんとうはそうするべきなのではないのかな?
相手の反応しにくい死角のようなところにわざわざボールを打ち込むなんて、ズルいではありませんか。
マラソンでもそうだ。
「お先にどうぞ」
この道徳的にして正々堂々たることをしていては、試合にはなりません。
「おれが」「わたしが」「先に」「いちばんに」。
小物だな。 ガキなんだよな。
ぼくわー、きょうそうをしてー、いちばんになりたいのれーっす。みたいな。
いい大人なら、紳士的に、相手に勝利を譲ろうではありませんか。
ようするに、クラいんですよ。
スポーツはすべからく、悲劇的だ。
世の中には、2種類のシステムがあるような気がするのです。
A:がんばらないと回らないシステム
B:がんばらなくても回るシステム
どちらが優秀なシステムかと言うと、当然システム「B」ですね。
無駄な挙動が必要ない、よくできたシステムなら、頑張る必要も当然ない。
どうもここ100年ぐらい、日本はシステム「A」なんだと思う。
「がんばる」ということを美徳のように定義して、システムの不具合を利用し隠蔽しているのです。
経済というのは、基本的には「ひとの欲」を燃料にしているところがあります。
あれがほしい、これがほしい。
そういった「欲」があるからこそ、人は消費し、経済は回る。
スポーツと、よく似てる。
がんばって、お金を稼いで、いっぱい使ってもらわないと回らないシステムなんですよね。
経済第一主義は、システム「A」のバグを利用しています。
「がんばる」ことを排除してしまうと、消費は減り、経済がとまる。
資本主義、競争経済主義にとっては、これは最大の問題ですね。
だからこの日本でクーデターを起こしたかったら、デモ行進をしたり、大声で議論したり、火炎瓶を投げつけたりする必要は全くありません。
「がんばらない」
「お金をできるだけ使わない」
みんながこれをすれば、このシステムはいずれ必ず停止する。
システムAは不完全なので、「みんなが、がんばらない」という事態が発生すると、いっぱつで壊れてしまうのです。
がんばらないシステム。
こっちのほうが、より高度なシステムなんですよね。
さて、ではどうすれば、システム「B」に移行できるのか?
「がんばらない」
ということかもしれませんね。
今必要だ、ほしい、と思いこんでいるもののほんどは、ほんとうはあまり必要ではないです。
ほんとうに必要なものだけのために頑張って、それほどではないものについては頑張らないというのが、システムBです。
いっしょうけんめいがんばって、仕事して、病気したら、お金が必要になります。
だから普段から、いっしょうけんめいにがんばって、稼いでおかねばなりません。
いっぽう、あまりがんばらずに、健康のままでいられたら、お金はかかりません。
お金がかからないから、そもそも、そんなに頑張って仕事しなくていいです。
いっしょうけんめい学費を払って、がんばって勉強して、そのぶんを取り返すために、いい収入の会社をがんばって探す。
スーツを買い、クツを買い、交通機関を使って移動する。
なんというマッチポンプか。
「高い収入を得るために、高い学費を払い、高い服を買い、交通費をつかう」
完全に「システムA」の構造に嵌まり込んでいますね。
いま大切だと思っていることと、ほんとうに大切なことは、じつは真逆のことが多い。
仕事よりも、眠ることのほうが、ほんとうは大切。
会社で昇進することよりも、家族との会話のほうが、ほんとうは大切。
有名になることよりも、無名で通すことのほうが、ほんとうは大切。
お金持ちになるよりも、少し貧しくあるほうが、ほんとうは大切。
楽しいことよりも、とくに面白くもないことのほうが、ほんとうは大切。
たくさんの友人をつくるよりも、少数の友人と仲良くするほうが、ほんとうは大切。
美味しいものよりも、あまり美味しくないもののほうが、ほんとうは大切。
おなかいっぱいよりも、すこしお腹が空いているくらいのほうが、ほんとうは大切。
ほんとうに大切なものごとは、お金も努力も、あまりいらないことのほうが多いのですよね。
なのに、どうして、無理して頑張って「いらないものごと」を手に入れようとするのか。
無意識のうちに「システムA」の部品として、完全に組み込まれてしまったからですね。
こんなにがんばっているのに、どうしてうまくいかないのだろう?
あたりまえだ。
「がんばるから、うまくいかない」。
「システムA」は、そういうふうに、できている。
すっとがんばらないといけないのが、システムA。
がんばるのをやめたとき、瞬時にシステムBに移行できる。
そこには「がんばる」という概念がありません。
だからがんばらないほうが、むしろうまくいくようになる。