これから書くことはあまり科学的ではないし、たんなる妄想に過ぎないことかもしれません。
でもたまに、ふと感じることがある。
12年前、ぼくはパニック発作を発症しました。
もう確実に死ぬと覚悟し、救急車も呼びました。
診断はパニック障害で、身体的にはなにも問題はありませんでした。
しかし、もしかしてあのとき、ぼくは「死んだ」のではないか。
いえべつに、いま生きているのがじつは意識の世界の中であるのだとか、そんなニューエイジ的SFチックなコワイ話ではありません。
なんていうか、ぼくは生まれてから、似たようなストーリーを繰り返していることに気がついたのです。
ぼくは生まれたとき、かなりの未熟児でした。
もういつ死んでも不思議ではない状態だったそうです。
しかし母親や産婆さんのおかげで、なんとか一命をとりとめました。
とはいうものの、虚弱であることには変わりはありません。
たいへん痩せこけていて、ちくのう、喘息といったアレルギーもひどく、よく扁桃腺を腫らし、原因不明の発熱や疼痛などに日々苦しめられ、学校も休みがちでしたから勉強の成績もいまいちでした。
アデノイドの炎症がひどいため切除したら、こんどはそこからバイキンが入って川崎熱という難病にもかかり、失明の危機さえありました。
母親が創価学会という宗教団体に入れ込んだのも、ぼくのこの虚弱が原因のひとつだったかもしれません。
そんな日々を過ごし、中学校に入ったときに、ぼくはふと思ったのです。
がりがりに痩せて、週に1度は熱を出し学校を休み、気が弱く、いつも呼吸に不具合を持っている。
あたまもわるく、気も弱く、気迫もない。
「ぼくが弱いせいで両親には心配ばかりかけて、周囲のひとにも迷惑ばかりかけている。
自分自身も、たいへんつらい。
こんな状態で生きていっても、なんの意味もないのではないか」
とくに毎日ぼくの病気の快癒を願って仏壇に伏している母親の姿を目にするにつけ、罪悪感は募るばかりでした。
そこで、決めたのです。
このままなら、どうせ長生きはできまい。
ならば死ぬ前に、いちど「賭け」に出てみよう、と思ったのです。
13歳でした。
お医者さんからは運動などもってのほかと言われていたけれど、ぼくはあえて、学校でいちばんつらく、怖く、ガラの悪い部活を選びました。
それが柔道部でした。
強くなりたいとか鍛えてみようとかカッコよくなりたいとかいう野望ではなく、死ね死ねと運命がいうのなら、いっぺん死んでやろうじゃないかという、悲痛な決心でした。
そんなことをしたら大変なことになると、両親からもお医者さんからも当然、猛反対を喰らいました。
しかし強硬に意思を曲げないぼくを見て、親父がいったのです。
「よし、いくら辛くてもやめず、10年間柔道を続けると約束するのなら、入部してもよい」
母親は、狂乱して親父を責めましたが、親父のおかげでぼくは柔道を開始することができました。
しかしあとで聞けば、10年といえばぼくがあきらめるだろうと思ったのだそうです。
結局ぼくはほんとうに10年間きっちり、柔道を続けました。
そこからは、ぼくにしてみれば「地獄」でした。
同時に入部した同級生は10人ほどいたのですが、全員やめてしまうぐらいかなり厳しい部活でした。
ぼくもやめようと思ったのですが親父との約束もあるし、いずれにせよ死ぬつもりで入部したのだから辛いのは当然とハラをくくっていたところもあり、結局やめませんでした。
すると、とても不可思議なことが起きたのです。
抱えていた諸々の症状が、全部消えてしまったのでした。
ちくのうや喘息、扁桃腺の腫れ、蕁麻疹などのアレルギー全般はもちろん、原因不明の高熱も、原因不明の痛みも、すべてすべて消えてしまったのです。
ほとんどメシも食えないガリガリだったのが食欲旺盛になり、ムキムキの筋肉質になっていきました。
そして不思議なことで、突如として成績がよくなりました。
つねに学年で最下位あたりをウロウロしていたのが、いつしか学年で1~2位を争うほどにまで向上してしまったのです。
お医者さんでさえ「そんなはずはない」と首をかしげていました。
このことについて、ぼくは当時やっぱりカラダを鍛えたことが原因なんだろうな、と考えていました。
しかし最近思うのは、当時の「死んでもかまわない」という決心こそが、直接的な原因だったのではと思ったりします。
というのも、パニック障害を発症していらい、ぼくはまったく同じような症状に悩まされているのです。
呼吸器系や皮膚のアレルギー反応、原因不明の高熱、原因不明の痛み。
「あのとき、死んだのではないか」
そう思うのは、どうも「生まれなおした」感じがしてならないのです。
同じようなことを、もういちど繰り返している。
アレルギーというのは、抗体の異常生成が原因なのだそうです
異物に対して過剰に反応し、それに抵抗する物質を大量に生み出す。
なぜ大量に「抗う物質」が生成されるのか。
もしかしたら、こころが「拒否」の感情を多大に持っているからではないか、と思ったりするのです。
ぼくは子どものころ、怖かったのです。
ずっと体調が悪かっただけでなく、いちどノドにアメをつまらせて死にかけたこともあります。
お医者さんからも、母親からも、おまえはカラダが弱いからいつ死んでもおかしくないと脅されて生きていました。
ぼくは「死」をおそれ、拒絶していたのだと思うのです。
死への恐怖と拒絶の感情が、抗体を大量に生み出していたのではないか。
そして、パニック障害。
これも「死の恐怖の病」です。
ぼくはそれまで、わりと死んでもよいと思って生きていました。
もともと虚弱だったし、体力が復活したのは幸運だけど「あまりもの」とさえ思っていました。
もともとの予定にはなかったし、いわば宝くじに当選したようなものだ、と。
しかしぼくはその強靭な状態を長年生きていくにつれ、欲が出てきたのです。
いのちを大切にしたい、という欲が。
結婚し、子どもがうまれて数年後、ぼくはパニック発作を発症しました。
「死んではいけない」
子どもが生まれてから、ぼくはつよくつよく思ったんです。
死んでもよい、から、死にたくない、にクラスチェンジした。
そうしたら、パニック発作が出た。
いまも、そうなのです。
ぼくはいまだに、こころのどかで「死にたくない」「死ぬべきではない」とずっと考えています。
だからこそ、アレルギー反応が強く出てしまっているのかもしれないです。
ぼくはどうやら、おなじことを2回繰り返している。
パニック発作をはじめて起こしていらい、12年が経ちました。
13歳のとき、ぼくは「死んでもかまわない」と思って、攻撃に出た。
もしかしたら、もうそろそろ「そういう心境」になるのかもしれないな、と思ったのですよね。
そのきざしが、すこしあります。
もういちいち、発作だの不具合だのに付き合っていられるか。
じぶんを守りまくって、おびえて、逃げて生きていくぐらいなら、決死の覚悟で前進したほうが良いのではないか。
ひとはだれでも必ず死ぬのに、弱々しい人生をけちくさく守っていて、なにがしたいんだ。
そんなことを、すこし思うようになってきています。
「死にたい」では、ないのですよ。
もちろん死にたくはないが、死んでもかまわない。
これ、似ているようで、ぜんぜんちがうんですよね。
前者は「生きることの拒否」だけど、後者は「死の受け入れ」なのです。
まだそこまでハラはくくれていませんけれどね。
でもそのうち、また「出る」んじゃないかな、と思ったりしています。
「2回め」かもしれないので。