石鹸の季節

昨年の冬ごろから、「キュレル」というボディソープをずっと使っています。

もともと若干乾燥肌っぽいところがあって、とくにスネのあたりがパッサパサになることが多かったのです。

キュレルは皮脂をあまり落とさないそうで、これを使うようになってからお肌がキレイになったと喜んでいる女性もけっこういます。

確かにこれを使うようになってから、スネのパッサパサの頻度はずいぶんマシになりました。

 

しかし、気になることもあります。

まず、キュレルを使うようになってから、左足の甲の一部が硬化し黒ずんでカサブタのようになりました。

右足のくるぶしも同様です。

また陰毛のあたりにもかゆみをよく感じるようになりました。

それらの症状は使い始めの冬だったから、乾燥が原因なんだろうと考えていました。

 

夏になって、とうとうまずいことを発見しました。

ぼくは左腕にミサンガをしていて、これが異様なニオイを放つようになったのです。

生乾きのゾーキンのようなニオイです。

これはそうです、雑菌が繁殖しているということです。

お風呂には毎日入っていて、当然ミサンガもキュレルで洗っています。

それでもニオイはまったく消えません。

そこで、ふつうの牛乳石鹸でミサンガを洗ってみたら、完全にニオイは消えました。

ということはつまり、キュレルは殺菌効果が非常に低いということを示していると思います。

なお、足の妙なカサブタも消えていません。

 

一連の現象を考えると、キュレルはたしかにお肌にはやさしいのかもしれませんが、こと疫学的な見地からするとあまり良くないのだと思います。

世間ではタモリ式入浴法や皮膚の常在菌によるマイクロバイオータ仮説など、いわゆる「石鹸不要論」のようなことが流行していたります。

これは環境問題やスピリチュアルなどと結びついたりして、石鹸を一切使わないなどという猛者を生み出したりもしました。

しかし現在の新型コロナウィルスのまん延から、ぼくたちは思い出す必要があります。

人類の歴史はウィルス・細菌との戦いの歴史でもあった、ということを。

貧乏で石鹸が容易に手に入らない地域ではどんなことが起きているかも、学ぶ必要があります。

石鹸が手に入らない地域では伝染病が再三猛威をふるい、多くの人が実際に亡くなっています。

「石鹸なんかいらない」というのは、疫学的な見地からはほぼ完全に誤ったひどい認識であることを思い知るべきなのです。

 

また、石鹸が必要か不必要かということは、季節も関係していると思います。

たしかに真冬など乾燥する時期は石鹸の必要性は比較的少ないかもしれません。

細菌の繁殖もそれほど活発ではありませんし、汗もかかないので皮脂も枯渇する傾向がある。

そんな時期であれば、むやみに石鹸を使わないというのは正しい選択かもしれません。

しかし高温多湿の梅雨時や真夏などは、石鹸を使わないと身体が細菌に侵されてしまう可能性もある。

とくに怖いのは肺炎で、体表面上で異常繁殖した雑菌が口腔内に侵入することで肺炎を起こす場合もあるそうです。

夏場は、しっかり石鹸でからだを洗うことが大事なのではないでしょうか。

ちなみに、ぼくはふつうの石鹸を使うようになってから、足の角質や陰部のかゆみは消えました。

これらは白癬菌の一種だったかのかもしれません。

ということは、冬場であったとしても、高温多湿になる傾向がある部位では石鹸を使用したほうが良いということなんだろうと思います。

 

ネット上では、皮膚科の先生までが出てきて「石鹸はいらない」と発言したりしています。

注意しなければならないのは、そのような先生が言っていることはあくまで生体原理から推測される理論的帰結にすぎないということです。

疫学的な見地や、人間の生活多様性は無視されていて、常在菌や皮脂という「個体の一般論」を言っているだけなのです。

人間は実験室で生活しているわけではなく、さまざな人やモノに触れ、さまざまな細菌やウィルスにも触れます。

人によって生活している環境は多種多様です。

比較的乾燥している家に住んでいる人もいれば、湿気の多い家に住むひともいて、清潔な家に住むひともいれば不潔な環境に住むひともいます。

そのようなひとを十把一絡げにして、季節も無視して、「石鹸はいらない」というのは、強引を通り越してもはや妄想の一種であるといえるのではないでしょうか。

近年のように、ある種の疫病が流行している場合もあります。

人々の多様性や環境の変化、季節など、さまざまな要因を考慮し、最大公約数的に高確率で病気を予防する方法論が「石鹸」だったのだと思います。

それも、皮脂バリアーを守るとかいう美容のための石鹸ではなく、殺菌・抗ウィルスのための、いわゆる「ふつうの石鹸」。

 

禅には「眼横鼻直(がんのうびちょく)」という言葉があります。

真理というのは、眼は横につき、鼻は縦についているというように、特段変わっためずらしいことではなく、ふつうで、あたりまえのことのことが多い。

「石鹸はいらない」というような、ある種の意外性のある物言いにはインパクトがあり、じつはそれが正しいのではないかと錯覚することがあります。

昔は石鹸なんかなかったじゃないか、それでもみんな健康だったじゃないかと言うひともいますが、よくよく思い出してみるべきです。

江戸時代の民衆の平均寿命が何歳だったかということを。

また疫病でいったいどれほどの人間が命を失っていったかということを。

石鹸が手に入らなかった戦後には、人々はノミやシラミまみれになり、殺虫剤を全身に浴びせられていたという事実を。

石鹸はめずらしい材料も高い技術力も不要で、かつ安価に作れるのに、非常に効果の高い衛生用品です。

だからこそ、これだけ広く普及しました。

必要で、効果があったからこそ、完全に普及したのです。あたりまえです。

なのに、今ちょっと衛生的な時代になったからといって「石鹸は不要だ」とか言い出すのは、あまりにも自然や世界をナメているとしかいえません。

自然は、世界は、ほんとうは、ものすごく恐ろしい。

その怖さから人間社会を守ってくれているモノのひとつが、石鹸なのです。

細菌が発生しやすい夏場や、風邪が流行っている時期、多湿になりやすい部位では石鹸を積極的に使う。

冬場など乾燥している時期や、乾燥しやすい部位では、むやみに石鹸を多用しない。

そういった「あたりまえの判断」こそが、大事なんだろうと思います。

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