ああ……。
ああっ!
ぼくはもしかすると、とんでもないことに気がついてしまったのかもしれないのです。
毎度そうなんだけど、原因不明の高熱と痛みが出たあとにはそんなことがよくある。
今までの価値観をわりと根底から揺るがすような気づきがもたらされることがあるのです。
「オシャレは人を寄せ付けない」
そんなことばが、落ちてきた。
ぼくはwebデザイナーとして10年以上やってきました。
最初の頃からいままで、ぼくがめざしていたWebサイトは「クールでかっこいい、おしゃれなサイト」でした。
なぜかというと、ぼくがそうしたいから。
そして自社のサイトを「クールでかっこいい、おしゃれなサイト」にしたいお客さんがほとんどだった。
だって、かっこ悪いと、会社もかっこわるく見えるじゃん。
信用も下がっちゃうかもしれないじゃん。
そんな気持ちがあったのでした。
ちがうのかもしれない。
もちろん、おしゃれなサイトがダメだということではないです。
正確には「おしゃれなサイトでないとダメな会社がある」ということ。
それはたとえば、ハイブランドのファッション企業や、セレブを対象にしたサービス会社など。
もしルイ・ヴィトンのWebサイトが超絶ダサかったら、違和感どころか「偽物なんじゃないの?」みたいなことも考えてしまいそうです。
言葉はわるいが、ルイ・ヴィトンは貧乏人や品の悪いやつに来てもらっては困るんですよね。
だから貧乏人や下品な輩を「排除する」機構が必要となります。
とはいえ強面の警備員を配置してそういうひとたちを門前払いで撃退するなんてことはいろんな意味でできないから、別の方法を使わないといけない。
それが「デザイン」であり、「ブランディング」なのですね。
むちゃくちゃオシャレなカフェとかだと、入ってみたいような気がするいっぽうで、ちょっと気後れしてしまうというのはあります。
ひとの行動原理においてこの「ちょっとした気後れ」が、重大な結果をもたらすことがある。
結論が「入るのやめとこう」に、なってしまうことがあるんですよね。
いっぽう昭和の香りがする、はっきりいって小汚いいわゆる「純喫茶」だと、なんにも考えずにまるで家に帰ってきたかのようにすーっと入れたりしてしまう。
ダサダサのただのふつうの定食屋の前でも、気後れするなんてこともないです。
異性関係でも、男性からするとむちゃくちゃオシャレな女のひとには気後れしてしまって声がかけづらいというのがあります。
たぶん女性でも、ものすごくオシャレでイケメンな男性だと、いいなあとは思ういっぽうで、嫌いでもないのに敬遠してしまう、というのがあると思う。
いっぽう、じゃっかんダサイ感じがするひとだと、気後れなくふだんの自分のままで会話ができたりもします。
まあ恋愛というのは単純ではないからダサければ彼氏彼女ができるということではないけれど、恋愛の基本である「異性に会う数×接している時間×交際濃度」という公式から考えれば「ややダサ」のほうが成功確率は高いのかもしれません。
「注目される確率」は、オシャレによって高まるものの、同時に「排除の力学」も働くことで、結果的にはベクトルが相殺されてしまう可能性もありますね。
ただし恋愛というのは相手が誰でも良いというわけでもないですから、「相手をふるいにかける」という意味で、オシャレによる排除力学を応用するのは必ずしも愚策とはいえないのでしょう。
問題は、商売の場合です。
「ハイソな人しか相手にしない商売」というのも確かにあります。
でもほとんどの会社では「買ってくれたら誰でも良い」というのが本音でもあります。
つまり客を選ばない商売は案外多くて、むしろそのほうが主流かもしれない。
そんな商売のばあいは、自社のサイトを「おしゃれ」にしてしまったら、無用な排除力学が働いてしまう可能性があるんですね。
じつは経験があって、老舗のお店のホームページをかなりオシャレにリニューアルしたとき、社長もスタッフもものすごく喜んでくれました。
でもどういうわけか、アクセス数が激減してしまったんですね。
なにかサイトの構造に問題があったのではとずいぶん調べてみたのですが、プログラムも最適化していたので、論理的にはアクセスアップすることはあっても下がることは考えられない。
結局原因は不明で、おかしなこともあるものだなあと皆で首をかしげていたものでした。
こういったことが、何回かありました。
これこそが「排除の力学」だったのかもしれません。
じつは社長のなかには、最初からこれを言ってくる人もいます。
「オシャレにしないでくれ、売上が下がるから」
ぼくもそうですし、エージェンシーもみな「そんなバカな」と思っていました。
あの社長は考え方が古いんだ、人間工学に基づいた適切な行間や色、ユーザーインターフェイスで設計したサイトのほうが良いに決まっているじゃないか。
これだから素人は、困ったもんだ。
なんてことを、思っていたものです。
でも、ちがうんだろうと思います。
ダサくしてくれ、という社長はたぶん、ほんとうに商売のセンスがある人なのかもしれません。
美しさやオシャレさには、排除の力学があるということを、言語化できなくても本能的なところで理解していたのかもしれないです。
そう考えたとき、ぼくは無性に、恥ずかしくなってきたのです。
ぼくを含むエージェンシーは自称「Webサイトのプロ」です。
しかしぼくたちがやってきたことは、そのじつ、「お客様のオナニーのお手伝い」に過ぎなかったのかもしれないのです。
同じプロでも風俗嬢方面のプロのようなことをしていたのかもしれない。
サイトがかっこよくなった、ウフフ、うれしー、ありがとね。
そんな「一夜限りの快楽」を与えただけなのかもしれません。
風俗嬢はお客様に快楽を与えることこそが真の目的だから、それで良いのです。
でもぼくたちはWebサイトの改良によって最終的にはその会社の売上増加の一助となることが真の目的ですから、ぜんぜんよくありません。
お客様の自己顕示欲を満たしてあげたり、美的趣味に同調してあげることが目的ではありません。
ましてや、作り手である自分たちの美意識を押し付けることもまた、目的ではありません。
「サイトをオシャレにすることで、エンドユーザーにどのような心理的な力学が起こるか」
そこまで考えるのが、プロというものなのだろうと思います。
はげしく、反省をしようと思う。
おしゃれ。
かっこいい。
かわいい。
そう感じたということは、そこに「排除力学」が働く可能性がある。
尖ったデザインは、ハリネズミなのかもしれない。
けっきょく、デザインの世界でさえ「思いやり」が必要なのですね。
「かっこいいデザインがしたい」だなんて、それはただのエゴにすぎない。
ぼくがどうしたいか、ではなくて、エンドユーザーが、どう感じるか。
それを優先することがマーケティングだし、思いやりでもある。
ぼくじしんも、「おしゃれ」を捨てようと思う。
そういえば、有能なデザイナーさんはみんな、服装がけっこうダサいんですよね。
「排除力学」を本能的に感知しているのかもしれない(単に自分を着飾ることに無関心なだけなのかもしれないけど)。
いっぽう、おしゃれにこだわるデザイナーさんは、じつはあんまり効果がないデザインばっかりしていることが多いんですよね。申し訳ないけど、無能なひとが多い。
おしゃれにこだわるデザイナーさんは、マーケターでもなければ芸術家でもなくて、一種の風俗業なのかもしれませんね。
「かっこよくしたい」という、お客さんの煩悩に応える仕事をしているんですもの。
むろんそれも悪いことではないけれど、すこしだけ悲しいとも思う。目的が、ちがうから。
商売の基本は「三方良し」。
かっこいいデザインがしたいからってそれを達成していたら、喜んでいるのはクリエイターだけになってしまうから、それって本質的じゃないと思いますもの。
あえて「ダサさ」を選ぶみち。
これからちょっと、考えてみようと思います。
「美しければすべて良し」だなんて、そんなガキみたいなことを言ってるトシでもないですからね。