仏教では、人生は夢のようなものだといいます。
死んでいくときには、すべて夢のように消えてしまうから。
必死で頑張ってお金を稼いだり、地位をあげたりしても、死んで行くときにはすべて消えてしまうのだから、意味がない。
だから意味がないことなんかしてないで、煩悩を捨てて粛々と生きていきなさいという人たちがいます。
あるいは夢を見るのは眠っているからで、目を覚まして現実=真理を見極めなさいという人たちがいます。
べつに異論はないのですが、3つめの方法はどうなのか。
思い切って「夢に生きていく」という道も、あるのではないか。
この人生が夢ならば、その夢の中で見る夢もまた夢。
この人生は夢のようなものだからといって、あきらめて粛々と生きていくひとたちは、たしかにいます。
ぼくも一時期、そうしようと思いました。
いっぽう、世界にはいま80億人ちかい人たちがいて、そのうちのたったひとりでも、この夢から覚め、真理を見極められたひとはいるのですか。
さいきん思うのは、この人生が夢ならば、そのまますなおに、この夢を生きていけばいいのではないですか。
「夢のような世界」
これが、すこしづつ近づいてきています。
だれかの夢がほんとうになって、夢のような世界になってきました。
そのむかし、家にいたままで外国の人と顔を見ながら会話ができるだなんて、だれが信じたでしょうか。
そのむかし、インドまで空を飛んでいけるだなんて、だれが信じたでしょうか。
流行り病があっても、うまくすれば多くの人の命が助かるだなんて、だれが信じたでしょうか。
むかし、だれかが、おおきな夢をみました。
その夢から覚めないで、夢をみつづけて、夢をほんとうにするために、いっしょうけんめいにがんばってくれたから、この世界はほんとうに、夢の世界になろうとしています。
西暦2030年ぐらいには、またしてもおおきな夢が、ほんとうになりはじめます。
そのころには、びっくりするようなすばらしいことが現実になってきます。
夢を夢だといってばかにしないで、夢をたいせつにして、受け継いできた人たちがいたからこそ、咲きました。
ぼくは夢をやめるひとではなく、夢を受け継ぐひとになりたいのです。
受け継いで、その夢を叶えるために生きて、死ぬときには、その夢をまた子孫に受け継いでいきたい。
人間は、死んでから極楽に行くために生まれてきたわけじゃない、と思うのです。
みんなで協力して、いまのこの世界こそを天国にするために、生まれてきたように思えてなりません。
そっちの方面から見たときに、はじめて全部が腑に落ちるからです。
そのとおりですね
きっと
>みんなで協力して、いまのこの世界こそを天国にするために
ね