最近はかなり自律神経の調子がいい。
神経の調子が良いだけでなく、元気にもなった。
この原因を、最初ぼくは春になったからではないかと考えていた。
冬の寒さから開放されて、全身がゆるんで血行が良くなったのではないか、と。
そうではなかったかもしれない。
じつはぼくは若い頃から春が苦手で、むしろ春こそ神経の調子の悪いことが多かったのである。
春はなんかこう、あたまがぼーっとして、あたまの中身もぼーっとして、全身がダルく、やる気が起きず、呼吸器全般が充血しているような感じもあって、非常に不愉快である。
現代には「リラックス信仰」のようなものが席巻しており、ぼーっとしているのを微笑ましいとか、うらやましいとか、快楽のように考える向きもあるが、じつはぼーっとしているのは全然「快」ではない。
呆然は、不快である。
やはりアタマもココロもシャキっとしているほうが、断然心地よい。
もともと春が苦手なのに、なぜこの春だけ調子が良いのだろうか?
じつは、思い当たることがある。
普段履いているジーパンを変えたのである。
ウエストに合わせるとぼくのジャストフィットのジーパンは大概「31インチ」となる。
新品状態では若干キツいのだが、履き続けていくうちに木綿は伸びてくるので、洗濯で縮む・履いて伸ばすを何度も繰り返して強引に「合わせていく」のである。
しかし今回は、リジッドといわれるまだ糊のついた新品状態でウエストが35インチのものを履き始めた。
通常のものと比べれば常軌を逸すると言っても良いほど大きなものである。もはや「袴」といっても良いほどブカブカである。
裾もかなり長いので、屋内で裸足で歩くと裾を引きずってしまい、もはや「殿中でござる」的な雰囲気さえある。
一般的にはジーパンをワンサイズオーバーで履く場合は1〜2インチほどサイズアップするぐらいが普通だと言われているそうである。
今回は4インチオーバーだから、とてつもなく巨大である。もはやお殿様なのである。
しかし。
そのようなブカブカのジーパンを履くようになってから、徐々にイライラがなくなっているようなのである。
よくよくじぶんの血流状態を観察してみると、とくにデスクワークで座っている時の股関節周りの血行が格段に良くなっていることがわかる。
股関節の血行が良いということは、上半身と下半身の血行がスムーズであるということである。
結果、「のぼせる」ことが格段に減っていることがわかった。
ジャストフィットのジーパンは、健康に悪い。
ダボダボジーパンは、健康に良い。
普段履いている31インチのものは、3年間ほぼ毎日履き続けているものだから、かなり柔らかくなってきている。
履いていてもそれほどキツいと感じることはない。
しかしよーく観察してみると、座っている状態だとやっぱり股関節や太もも周りはかなり圧迫されているようなのである。
しかし今回の35インチのジーパンでは、もう全くと言って良いほど圧迫がなくなる。
ぼくは「情報の取得」を間違えていたようなのである。
ジーパンというものは新品ではキツいものを我慢して履いて「伸ばしていく」のが正しい、という情報を得ていた。
いわゆる「ジーパンおたく」といわれる人たちのブログにもそう書かれているし、各種ファッション雑誌にもそう書かれていて、APCというジーパンブランドもそのような履き方を推奨している。
そのあたりから得た情報によって、ぼくは「履いて伸ばす」神話を信仰するようになっていたのであった。
このように、キツキツを強引に伸ばしていくことにはメリットがある。
そのほとんどのメリットは結局のところ「見た目が良くなる」ということである。
ヒゲやアタリ、ハチノスなどと呼ばれる色落ちが最小限かつハッキリして、全体的にメリハリの効いたオシャレな色落ちになっていくいっぽう、引き締まったシルエットになり、視覚的な脚長効果も期待できるのである。
しかしこれにはデメリットもある。
生地をぎゅうぎゅうに引っ張るから、長年履いているとどうしても痛みやすくなり、破れやすくなってしまうのである。
見た目は格好いいが、弱くなる。
じつはジーパン界隈ではもうひとつの流派もある。
「縮めて合わせる」
という流派である。
あえて新品状態で数インチ大きなジーパンを選び、洗濯をすることで「縮ませて」合わせていくという流派である。
木綿は濡らすと必ず縮むので、その縮みを予見して最初から大きなサイズから履き始めるということである。
そうすることで、ジーパンの生地に余計な負担をかけずにサイズを合わせることができる。
メーカーにもよるが、リーバイスなどでは洗濯するとウエストで2インチほど縮んでしまうこともある。
「履いて伸ばす」派では、「ウエストはあまり縮まない」と喧伝していることが多い。
それは「無理して伸ばしている」からそうなる。
「縮めて合わせる」場合、縮んだ状態でもまだブカブカなため生地にほとんど負荷がかからず、そこからもさらに自由に縮んでいくので、2インチ以上縮むこともザラである。
ぼくの35インチのジーパンも、現在ではもはやウエストは33インチほどの感じになって、それほどブカブカではなくなってきた。
この方式だと、生地がまったく傷まないので丈夫な期間がつづく。
そのかわり、ヒゲやアタリ、ハチノスなどと呼ばれる色落ちはあまりつかなくて、あまりメリハリのない感じになっていくと思われる。
■ 目的が「オシャレ」の場合
「履いて伸ばす」派が良い。
「オシャレは我慢だ」の言葉のとおり、格好良さを優先するのなら、我慢して履いて伸ばしていくのが良いのだろう。
しかし、身体に負荷を与える可能性が高い。
■ 目的が「機能性」の場合
「縮めて合わせる」派が正解。
作業着としての堅牢性、動きやすさ、身体への負荷の低減などを優先する場合は、この方式が最適であろう。
とくに健康のためには、この方式が良いと思う。
ぼくは断然後者の「機能性重視」でいきたい。
下半身の圧迫は、思った以上に身体に負荷を与えている可能性がある。
格好の良いジーンズを仕上げたところで、循環器系や神経系に不具合をもたらすのであればそれは大赤字だといえる。
また、格好の良いジーンズを履いたからといって異性にモテるわけではない。
それはおおいなる勘違いである。
モテる男は500円のスエットを履いていてもモテるのであって、大枚をはたき我慢して窮屈な格好をするようなことは、モテない男がすることである。
その思考や思想そのものがイケてない。
「外側」を取り繕うようなやつは、中身がしょうもないから、外側でウソをつくのだ。
下半身の自由。
それは、こころの自由でもある。