このたびのコロナ禍が仮に運良く終息したとしても、今後一切疫病が流行らないという保証はない。
また疫病を乗り切ったとしても、各種天災はいつ発生するかわからない。
人類はその数百万年ともいわれる歴史の中で、ウィルスに勝利したといえる事実はたったの1回しかなかった。
いくら科学技術が発展したとしても、地震などの天災を未然に防いだり、あるいは無効化できたこともただの1回もなかった。
なのにぼくたちは、いまだに天災や疫病について「勝とう」という野心を持ち続けている。
なぜそこまで粘着気質で馬鹿なのかという人間の「業」に関する疑問はいったん横に置いといて、「ヒトと災害の共生」という観点から考えてみたい。
防御するのでもなく、逃げ回るのでもなく、駆逐するのでもなく、戦うのでもない。
第三の道としての「共生」。
疫病や災害で多くの犠牲者を出してしまうその最大にして根源的な原因は「集合」にあると思うのです。
人が、集まりすぎである。
一箇所にギュウギュウに集まっているからこそ、何かが起きたときに「一網打尽」ということが起こる。
このたびのコロナ禍も、あきらかに人口密度との関係性が見えます。
人口が少ないエリアほど、その影響を受けていない。
震災や津波もそうです。
人口の密集地域で起きるからこそ、甚大な被害が出る。
冗談抜きで、人類はマジものの「ばか」なのではないか。
こんなことは、当たり前だともいえる。
戦争だってこの戦略をつかう、敵兵を一箇所に集めておいて絨毯爆撃を仕掛けるというのは常套手段でもあります。
集まっているからこそ「全部やられてしまう」危険性が格段に増えてしまう。
集合しているということは、冗長性がないということでもある。
個体が分散しているほど冗長性が高くなり、被害の影響も小さくなっていく。
日本列島をGoogleMapの航空写真モードでみてみる。
よく「日本は狭い」といわれるけれど、ほんとうはそんなことない。
狭いのは、平地が少ないということなのですよね。
日本の国土は70%が山岳で、うち67%は森林である。
ぼくたち日本人は、国土のたった30%前後の部分に蝟集して、狭い狭いと嘆いている。
もっと分散すれば良いのではないか。
そうすればもし地震や疫病が流行ったとしても、被害を被る人の数が減るのではないか。
地震について、以前から思っていることがあります。
地震で死んでしまうのは、じつは揺れそのものが原因ではない。
揺れによって倒壊した家の下敷きになって死んでしまう。
ということは、その家を、軽量化すれば良いのではないか。
たとえばモンゴルの「パオ」のように。
いわばテントだから、倒壊したところで被害はせいぜい
「あっちゃ〜〜」
程度ですむ。
また数人で、建て直せばよいだけである。大工もいらない。
すくなくとも、誰も死ぬことはない。
そして平地ではなく、山岳部に住むのである。
そうすると自動車が使いにくいというデメリットがある。
ならば「シカ」を手懐ければ良いのではないか。
彼らは山岳移動に適したカラダを持っているから、それに乗って移動するというのはどうか。
ケノモミチさえあれば、自動車なんかよりよっぼど良い仕事をしてくれるかもしれない。
問題は、台風であります。
地震に強い軽い部材であるということは、大風が吹けば吹っ飛んでしまうというデメリットがある。
「防風林」はどうか。
風というのは、そうそうめったやたらに方角が変わるものではない。
だから風が吹いてくる方向に巨大な樹木で防風林を設けるというのはどうか。
また台風は地震とちがって、予測できるというメリットがある。
「もうそろそろ来るな」っていうのは、べつに気象予報士に聞かなくたって、季節と風の感じでだいたいはわかる。
パオのような住宅なら、分解も移動も簡単。
台風の影響を受けにくいエリアに、さっさと逃げてしまうというのはどうか。
そして平地は全域、農地にしてしまうのである。
関東平野や大阪平野など、あんなにりっぱな平野部をクソの役にも立たん食うだけの人民を転ばせておくのはもったいない。
ああいう平坦で肥沃な土地は、超巨大な農地として使うほうが良いのではないか。
なにもせっかく発達した現在の技術を全部放棄してしまえというのではない。
自動車やコンピューター、衛星など、使えるものは全部使えば良い。
またパオ的な住居のために、羊毛などよりももっと通気性や軽量性、剛性に優れた繊維や骨組みの開発には現代技術がきっと役に立つ。
ただ「陣容」を変更するというだけのことである。
・・・・・・とまあ、これはつまり、妄想なのですけれどね。
天災や疫病には強くなったが、たとえば犯罪ということの抑止はどうするのかという問題がある。
また道や水道ガスなどのインフラ整備、そのメンテナンスが難しくなるという問題がある。
急病人が出たときには、どうするか。
「人が蝟集することによる経済」に依存しつづけて続けている限り、経済の活性化も難しい。
人々は元気だが、全体的な意味での「国力」は低下していくかもしれない。
そのへんのバランスが、難しいところでありますね。
でも、もうそろそろ、いいんじゃないかなと思うのです。
あれだけ大きな災害を何度も経験して、これだけの疫病も経験して、それでもまだ「集まらないと生きていけない」だなんて、ちょっとは分散する努力をしてもいいのではないか。
なんのための道路、なんのためのインフラ、なんのためのインターネットなんだろう。
いくら技術が発達しても、それを「平野部限定」で使うだなんて、宝の持ち腐れのような気がする。
みんな賢いのである。
山の中で全員が分散して住むことになったとしても、きっとみんな、いろんなアイデアや技術を発達させていくと思う。
環境に応じて、柔軟に、かつ高速で発展をしていく。
人類のほんとうの強さは、じつはここにあると思うのですけれども。
平地の民から、山の民へ。
この転身によって、さまざまな問題が芋づる式に解消するような気もします。
とくに温暖化や、生態系の破壊など。
自然と共生するためには、自然の中に住んでしまうというのが、いちばん手っ取り早いのではないのかなあ。