ぼくは仕事中とかについ、背中が丸くなってしまいます。
そのせいで息苦しくなったり肩が凝ったり、動悸がしたりしまう。
だから最近、できるだけ姿勢をまっすぐにするように意識しています。
そこでふと、思ったんですよね。
そんなにチカラ入れないと姿勢がまっすぐにならないなんて、おかしくね?
ネットとかで探すと、猫背は筋力の低下だから、腹筋と背筋を鍛えたほうがいい、というのです。
コレは非常に説得力があるので、よっしゃあ、じゃあ筋トレすっかあ! なんて思います。
でもなあ。
ちっちゃな子どもって、姿勢がいいことが多いですよね。
ハイハイから立ち上がったばかりの赤ちゃんで、猫背っていうのはいないと思う。
あいつら、筋トレとかしてねーじゃねーか。
子どもはまだ体重が軽いから、そんなに筋力はいらない、ということも考えられます。
でもそれに輪をかけて、筋肉が少ないんですよね。
姿勢の維持に、ほんとにそんなに強大な筋肉が必要なのか?
ぼくのおばあちゃんは、生前ものすごく背中が丸かったです。
眠るときも横に向かないとだめで、背中が丸いので仰向けに眠ることができなかったんですね。
しかしおばあちゃんは亡くなったとき、まっすぐ仰向けで寝ていました。
「バーチャン、こんなに背が高かったのか……」
おばあちゃんはちっちゃい、というイメージがあったんですけど、ぜんぜんそんなことなかった。
むしろデカかった。
禅のお坊さんはみんな姿勢がいいですけど、かなりの高齢の方でもとても姿勢がいいです。
いくら修行をしているといっても、80歳とかで、そんなに筋力あるかなあ。
申し訳ないけど、広背筋とか脊柱起立筋とか、そういう姿勢維持の筋肉のパワーだけでいえば、若いぶんぼくのほうが強いんじゃないかしら。
なのにぼくは、姿勢がわるい。
筋肉って、姿勢にはあんまり関係ないんじゃね?
ふと、思ったんですよねえ。
考えてみれば、そんなに必死こいて筋トレしないと姿勢がまっすぐにならないというのなら、正しい姿勢こそが不自然で、無理があるといえる。
欠陥構造じゃあねえか。
むしろ、逆なんじゃないかしら。
筋肉こそが、まっすぐな姿勢を阻害しているのかも。
考えてみたら、背骨をまっすぐにするのに、そんなにものごっついパワーが必要なはずがないんですわ。
真横になっているものを垂直に持ち上げるのなら、かなりのチカラがいります。
でもあるていど背骨が立っている状態なら、せいぜい「傾ける」程度の筋力でいいんですよね。
そんなにチカラ、いらねーよ。いるわけねーじゃん。
だから、年端もいかんクソガキでもまっすぐな姿勢ができているんだ。
腹筋とか肋間筋とかが、ずっと緊張してしまってるんじゃないですかね。
からだの前側の筋肉が、強いとか弱いとかじゃなくて、萎縮している。
それに「逆らう」ように、反対側の筋肉を萎縮させてまっすぐにしようとするから、よけいに苦しくなったり、痛くなったり、疲れてしまったりするんじゃないか。
意識の問題も大きいような気がするんですよね。
固定観念、とでもいうか。
「脱力したら、背中は丸くなるものである」
うそつけ。
だったらぼくのオバーチャンは、なんだったんだ。
脱力の極至「死」の状態で、オバーチャンはまっすぐになった。
生きているときは、まんまるだったのに。
なんか、意識がどっかで、間違えたんじゃないかなあ。
背中が丸いのが脱力した姿勢である、みたいな。
ほんとうの、ほんとうは、背中も腹筋も両方チカラがぬけたら、ヒトの背骨ってのはピシーっと竹みたいにまっすぐになるようにできているのかもしれん。
気を抜く、脱力する、油断する。
そうすると「カタチが歪む」と、勝手に思い込んでしまったのかもしれないですね。
まっすぐな姿勢はビシっとしているから、チカラが入っているように見える。
そう見えるから、チカラ入れないとできないのかな、って思い込んでいるのかも。
実際には、むしろ「気合を入れたり、緊張したり、集中したりするから、歪んでいく」だったりして・・・
おなかのちからを、抜こう。
わきばらのちからも、抜こう。
背中も、胸も、腰も、お尻も、肩も首も、ぜんぜんぶ、抜こう。
赤ちゃんみたいに、べるんべるんに、ちからを抜こう。
そうしたら、まっすぐになるのかもしれないですね。
背骨を、筋肉で支えている、というイメージをすてる。
そうじゃなくて、背骨が「宇宙空間に漂っている」と思ってみる。
重力も抵抗も常識もない、まるでからっぽの空間に行くと、背骨は竹のように、勝手にまっすぐになる。
そうイメージすると、なんか姿勢が伸びやすい気がします。
まっすぐこそが、自然なかたち。
だったら、どこにもチカラは入れたら、あかんわな。
筋力で姿勢を正すのは、アホがするこっちゃ。