いろんなテンポ

さいきんのマイブームは「テンポ」であります。

なんかふっと気がついたんですけど、ぼくは妙にテンポが速い。

動作も、キーボードを打つのも、歩くのも、考えるのも、考えることが変わるのも、とても速い。

これを計測してみるとメトロノームでいえば「テンポ200」に近い感じなのでした。

トッ・トッ・トッ・トッ……ていう感じではなくて「トトトトトト」みたいな感じ。

うむ、これじゃあ、イライラするわなあ。

落ち着きがないわなあ。

 

で、思ったのです。

もしかすると人間というのは人それぞれ「持って生まれたテンポ」というのがあるのではないか。

テンポ80で生まれたひとや、テンポ120で生まれた人など。

いわば体質的なことで、そのひとが持っている「基本テンポ」のようなものがあるのではないかなあ。

 

まず最初に思いあたったのは、ヨガをはじめて習いにいって呼吸法を習った時です。

そのとき、びっくりしたんだ。

「はやっ!」

すごく速いなあ。

プラーナーヤーマという、右鼻と左鼻で交互にやる呼吸法とかあるんですけど、「ゆっくりやりなさい」なのに、教室ではみんな4秒ぐらいで吐いて、4秒ぐらいで吸う感じなんですよね。

ぼくはこの倍ぐらいの感じがある。ゆっくりやれっていわれたら、8秒ぐらいで吸って、8秒ぐらいで吐くのが、ちょうどいい。

火の呼吸というフッ・フッ・フッ・フッ・フッと短く強く呼吸をするやつがあるのですが、これもぼくには早すぎて違和感がありました。

1秒に2回「吸う・吐く」をやる感じなんですよね。つまり1ユニットは0.5秒ぐらい。

早すぎね?

ぼくのばあい、何も言われずにそれをせよといわれたら、1秒に1回ぐらいになります。

もちろん、0.5秒でできないわけではありません。

でもなんか、違和感がある。へんな感じになる。

 

いわゆる「ゲーム」というのがあまり好きではなくて、それはなぜかというと急がせるからです。

たくさんの敵が出てきてワラワラと攻撃してくるから、それを片っ端からやっつけていくみたいなやつが、いちばんきらい。

急がないといけないから。

テトリスのようなパズルゲームでさえ、結局はだんだん速くなっていく。

ついていけないというわけではないが、「腹が立つ」のです。

なんで急がなあかんねん、なんでやねん、と文句を言ってしまうのです。

ゲームなんてものは遊びなんだから、どうして仕事みたいにワチャワチャ急がなアカンねん、それやったら休憩にならへんやないか、と思う。

こういうのを「楽しい」というひとがいるけど、なにがオモロイねん。せわしねえのお。

きらーい。

 

むかしここに書いたことがあるけれど……小学生のころは家から学校までダッシュで30秒という好立地に住んでいたのに、ぼくは遅刻ばっかりしていました。というか、遅刻しかしていないかもしれません。

寝坊をするのではありませんよ。

家から学校まで、30分ぐらいかけて通学していたのです。

寄り道もしていませんし、歩くのが遅いというわけでもありません。

とにかく、よく止まるのです。

きゅうになぜか電信柱にとても強い関心を持ち、そこで10分ほどずっとそれを眺めていたり、どぶ川の川の流れを10分ほど眺めていたり。

休み時間も守ったことがあまりありません。

チャイムが鳴っても「うむ、なにか鳴っておるな」と思って、思うだけで帰らないのです。

授業中も、ずーっと窓の外から山を眺めていて、でもこれは「山に遊びに行きたい」とかではありません。あまりなにも考えていません。

とにかくビタアッと止まって動かなくなることがよくあったのです。

でも授業は聞いていて、先生が「あ。こいつよそ見しているな。急に当てて叱ってやるか」と、イジワルで急にあててもぼくは質問に答えます。

そしたら先生がとても残念な顔をするのです。

(ちっ。なんだよ。授業を聞いてないと思ったら、聞いてやがったのか)

聞いていないのでもないし、なにかべつのことを考えていたのでもないのですから、あたりまえだ。

このせいでなんどか母親が先生に呼び出されたこともあります。

「あんたのお子さんは、なんかおかしいです」

うるせえよ。

先生が教え子をおかしいとかいうな。おおきなお世話だ。

 

とにかく、もともとの「テンポ」が、ずいぶん遅いのだと思います。

だけどおとなになって「この世のテンポ」に合わせていくうちに、これは治っていきました。

 

でもたまに思うのが、こういった「テンポの齟齬」で、自律神経がおかしくなっているところもあるのかな、と思ったりします。

ぼくは、ぼくに、ウソをついているのです。

ほんとうのテンポではなく、だれかのテンポとか、求められるテンポに無理やり変えた。

ウソのテンポなんだ。

だからどうもいまいち、具合がわるいのかもしれない。

 

ジョギングをすると、どうもココロがワタワタして落ち着きがなくなる。

でも座禅をすると「ああ、これこれ」って思う。

じーっとして、ナマケモノみたいに、じわー、じわーと動くと、神経のコーフンが収まってきて、とっても上機嫌になる。

でも走ったり急いだりすると、いやあな感じになっていく。

 

以前似たようなことを書いた時、ぼくはこう結論しました。

「【いま・ここ】という絶対座標に居座れば、外の時間も中の時間も関係がなくなるではないか」

うん、まあ、そうかもしれない。

でも最近は、こう思うのです。

そんな難しいことを考えなくても、「臨機応変」でいいよね。

ふだんは「わたしのテンポ」で動いている。

でも必要があるなら、すなおに「そのテンポ」に合わせればいいじゃないの。

よくないのは「外の時間」を、いつまでも引きずり続けていること。

1日1回、「わたしのテンポ」に、リセットするだけで、いいんでないのかな。

で、イヤなら、ほっとけばいじゃん。

無理して合わせなくていいよね、ひとにはひとの、テンポがあるもの。

 

でも正直なところ、ぼくは思うんだ。

とはいうもののやっぱり、みんな急ぎすぎだよねえ。

スタタタタタ、ワタタタタ、ペラペラペラペラ、ワキャキャキャキャ、ギャギャギャギャギャギャ、チャカチャカチャカ、ビューン、シュバーッ。

うるせえなあー。

おなかすいてるのかな?

 

べつにいい。

生まれ持ったテンポがそれなら、それでいいんだと思う。

でもそれに合わせるかどうかは、おれの勝手だからな。

合わせてもいいなって思うときは合わせるけど、合わせたくないときは合わせないよ。

おまえたちはおれにいっさいテンポを合わせようとしないくせに、どうしておればっかりがおまえたちのテンポに合わせなくてはいけないんだ。

おかしいだろ。不公平だろ。

自分たちに合わせろというのなら、おまえたちもおれに少しは合わせろ。

それができないというのなら、おまえたちはおまえたちのテンポで勝手に動いてろ。

おれも、おれのテンポで勝手に動くから。

それでよかったんですよね。

いちいち、付き合ってやんなくていいです。

異なるテンポがいろいろあって、それが共存してはじめて世界という音楽になっていくのですもの。

だれもが同じテンポなら、そんな音楽、つまんねえわ。

みんなが同じでないといけないなら、この世に人間は一人だけでいいです。

 

 

  • ぽぽんた より:

    http://quiizu.com/archives/35694

    >「あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです」。
    「成績が優秀な子もそうでない子もいていい。みんな一緒ならロボットになっちゃいます」。

    みんなおなじなんておかしい 
    うちのこはこれでいいんだぜ 的な ˘ ω ˘*ゝ

    さかなクン母の このエピソード うかびました。(・ω<)

    • TERA より:

      コメントありがとうございます。

      さかなクン、ぼく好きなんですよー。
      イジメの問題とかでも、核心をついたいいことを仰るんですよね。

      あのすばらしい人柄は、お母さんの考え方も関係しているんでしょうね。

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