春の推移

春はデトックスの季節だといいます。

また更年期障害もまた、デトックスだといいます。

ふと去年のことを思い出して、もしかして、と思ったことがあります。

 

ちょうど去年のいまごろ、ぼくは非常に苦しい思いをしていました。

よくもまあ復活したなと思います。

虫垂炎のようになって高熱を発し、小便は茶色になり、まったくゴハンが食べられない時期がありました。

36.8度ほどの高熱がしょっちゅう出ていました。

これは大げさではなく、ベッドで横になったら、おなかの痛みでまったく起き上がることができないのです。なので起き上がるときには「ベッドから落下して」這って移動をしていました。

トイレに行くことさえも、難渋しておりました。

そんな状態が3週間ほどつづきました。

冗談抜きで、すこしだけ「死」を覚悟したほどです。

 

なんで医者にいかないんだ!

って話ですけど、行けなかったのです。

パニック障害から外出恐怖になり、病院へ行くどころかそのために救急車に乗ることさえもできないのです。

だからぼくはもう、ハラをくくったのであります。

これで死ななければならないというのなら、もう死んでやろう。

まあこれはやや大げさですが、でも冗談ではないほどには、覚悟を決めました。

あのときほど「オンライン診療」ということを渇望したことはありません。

さまざまな理由で動けないひとのためにも、国家はオンライン診療という受け皿は持っておくべきです。

しかしぼくひとり声を上げても、それは小さすぎて、どこにも届かないのでした。

 

さておき、その異常事態はなんとか3週間ほどで収まりました。

しかしほんとうの「地獄」は、ここから始まったのでした。

とにかく、パニック発作が異常なほどに連発するのです。

もともとパニック発作はありましたが、多くても数日に1回くらいでした。

しかし昨年の3月以降、最大で1日に4回ほど強烈な発作が出たこともありました。

ほぼ毎日、あの発作を起こすようになってしまったのです。

とうとう、ぼくは大好きだったお酒さえ、完全にやめてしまいました。

それ以降、いままで1滴も飲んでいません。

そして異様な胸の息苦しさを感じたりもしていました。

 

そして、今年の春。

異常にダルく、微熱も出て、頭痛がして、節々が痛み、若干息苦しいという状態になりました。

しかし、それほどではないのです。

ちょっとした風邪、という感じであの「七転八倒の苦しみ」というほどではありません。

そしてなにより、あのパニック発作が出ないのです。

このように微熱が出て動悸がすると、高確率で出ていたのに、その予兆こそあるものの、結局は出ない。

そして、妙に機嫌は良いのです。気分は、あかるい。

 

で、思ったのです。

「あれは全部、ほんとうにデトックスだったのではないか」

 

パニック発作はデトックスかもしれない、そう思った時期もありました。

10年近くやっていますが、パニック発作のあとは体調がよくなることも多いのです。

症状=悪、というイデオロギーに支配されていましたが、じつはそんなこともないのです。

風邪の発熱が、じつはウイルスや細菌を退治しているというのは有名な話で、最近は少々の熱なら病院でも解熱剤を処方しなくなっています。

盲腸もよほどひどい化膿でないかぎりは、切らないようになってきました。

 

症状は、治しているサイン。

むろんあまりにもひどく命に関わるような場合は対処が必要でしょうが、このことはやはり原則なのだと思います。

そして症状は、春に出やすい。

気温が上がり、体のエネルギー量が増えてきて、「抵抗する」ちからが大きくなってくる。

そこで一気に、悪い部分を治そうとしはじめるのだそうです。

その経過は必ずしも快適ではなく、むしろ苦しい。

治す方にエネルギーをつかうので、全体的な元気はなくなったように見えることもある。

しかし内部では、ものすごい勢いで「修繕工事」をしているのだそうです。

 

春の病には薬が効かない。

そんな話もあります。

もし春の不調がデトックスだとしたら、これはむしろ当然かもしれません。

というか、効いてはいけないのです。

症状を抑えるということは、修繕工事をやめろということです。

そのときは良くても、のちのちに大きな問題に発展する可能性もある。

 

やっぱり、治っていってる。

そう、思うことにしました。

だって、「わるくなっている」と思おうが、「よくなっている」と思おうが、結果には大して差はないのです。

それならば、「よくなっている」と思ったほうが、絶対にトクです。

それに一説によれば「よくなっている」と思うほうが、はやく症状が収まっていくという話もあります。

大病でさえ、あかるくしていれば、経過が良くなるというのです。

わるいほうに考える、なんていう道はないです。

結果がどうあれ思うのは勝手、思うのはタダ。

だったらやっぱり、いいふうに考えておこうと思います。

 

「私は日々、あらゆる面でよくなっている」

この呪文は「アファメーション」と言うそうです。

そのように、なんども唱えて、じぶんに言い聞かせる。

それが効くか効かないか、医学的に証明されているかなんて、どうだっていい。

科学的検証など、再現性など、クソくらえなんじゃ。クソの役にも立たんのじゃ。

つらいのは、いま。

いま、つらいなら、いいふうに考えよう。

努力するなら確実にそっちのほうですよね。

わるいほうに考えて良くなる、いっぱい考えてよくなる、たくさん本を読めばよくなる、たくさん悩めば良くなるという話は、ついぞ一回も聞いたことがありません。

むしろその逆のほうが良くなる、という話が多いのです。

これを古来より、「笑う門には福来たる」というのかもしれないですね。

最強の健康管理は、運動でもヨガでもなく、笑顔である。

 

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