昔は、ひどかった。

歴史を学ぶことの有用性のひとつは「いま現在は、極楽にほぼ等しい」ということを思い知るれることだと思う。

人間には妙な癖のようなものがあって、昔のことを美化する傾向がある。

とくに日本でいえば江戸時代以前、海外でいえば中世時代の指向性や生活を賛美するようなことがある。

いまのこの世の中はたいへんにストレスフルであるが、対してもっと昔の世の中はのんびりしていて、ストレスが少ない世の中だった、というようなアレである。

食物についても昔は添加物がなかったから今よりも健康的だったと考えるひとたちもいる。

身体の使い方も昔の人のほうが合理的だったとかいう、妙ちくりんな妄想に取り憑かれているひとたちもいる。

 

とんでもないことである。

いったい、どうしてそんなヘンなことを考えるのかというと、まず第一に「美化された過去」をテレビや映画、芸術、文学作品等を通じて垣間見たからであろうと思われる。

美化された過去というのはファンタジーと何ひとつ変わらなくて、いわば「ただの妄想」である。

記憶ですらない。

そのような妄想的イメージが先行し「当時の、じっさいの人々の生活」についてはいっさい知ろうともせず、じぶんに都合が良い景色だけをより好みして眺めている自己中心的な指向性がうかがえる。

 

まず、病院がなかったのである。

医者はいたとしてもそれほど高度な技術はなかったし、なにより一般庶民は受診代など払えず、薬さえも買えなかった。

保険制度もなく、もし無償の医院があったとしても交通機関はなく、そこへ行くことすらできなかった。

だからつまり、こういうことである。

「病気をしたら、終わり」

 

この恐怖をしっかりとイメージしてみれば、身の毛もよだつであろう。

ぼくはパニック障害から外出恐怖になり、一切の外出ができなくなった時期がある。

だからほんの少しではあるが、この恐怖をイメージできる。

虫垂炎のような状態になったのに、病院に行けなかった。

右下腹からみぞおちにかけて強い鈍痛がして、吐き気もあり、37〜8度の熱が数週間も続き憔悴していった。

そのときぼくは「ほんとうに」覚悟した。

このままもし悪化すれば、腹膜炎になり、死ぬであろう。

ぼくの母親が若い頃腹膜炎をやって死にかけたという話も、たまに頭をよぎる。

医者に行けないぼくは現代でいえば比較的かんたんな病気である「虫垂炎」で死ぬ可能性が出てきた。

これは恐怖である。

また逆にいえば、外出恐怖とはある意味「死を凌駕するほどの恐怖」であったともいえる。

虫垂炎で死んでもかまわない、それでも外出が怖い。

外出恐怖とは、このような状態のことをいうのである。

このあたりのことをまったく知らない、あるいはイメージできない想像力に乏しい者は、脳天気なことを言うのである。

「救急車呼べば?」

バカかお前は。そーゆーことでは、ないのである。

まあ幸いこの腹痛は1ヶ月ほどで収まって(つまり1ヶ月間は強い腹痛で呻吟していたわけだが)、その後はまったく治ってしまった。病院に行っていないから、何が原因だったのかさえ、わからない。

さておき「病院がない」もしくは、あっても「行けない」というのは、かなりの恐怖である。

たかが虫垂炎であっても、それはごくカンタンに「死」と直結するのである。

 

さて、もっと怖いことがある。

「侵略者」である。

中央アジアではむかしモンゴル帝国という強大な国が世界制覇に乗り出していた。

この国は周辺のヨーロッパやロシア、中国などからすればもはや「悪魔」といえるほどおそろしい軍隊であった。

絶大なる軍事力をもって降伏を迫り、降伏しなければ即座に蹂躙、殲滅、強奪する。

降伏しても、延々と奴隷のような状態がつづく。

文学系の本の中には、モンゴル帝国は侵略した民族に対してじつは自由を認めていて案外優しかった、などという記述もあるが、あれは脚色である。

じっさいには、ルール違反をすれば即座に死刑だったし、地域を統括する支配者によっては食料さえもほとんど与えられず、家族を問答無用で奴隷として差し出さねばならなかった。人権などクソ喰らえだ。

信教などある程度の自治は確かに認めていたが、「約束をかんたんに破る」ことも当然のことのようにしていたらしい。

衣服さえもろくに与えられなかったため、凍傷で手と足の指をすべて失ってしまった人もたくさんいたらしい。むろん、それに対して「補償」などない。

まさに、逃げられぬ地獄である。

中世時代というのは慢性的な戦闘状態のようなものだったから、モンゴル帝国に限らず未知の外敵からの唐突な侵略という恐怖は、つねに住民を支配していた。

ひとはかんたんに病に殺される。

そして病から逃れたら、こんどは敵に殺される。

まさに「毎日が死と隣合わせ」であった。

だからこそ、宗教が発達したのだと思う。

どうやっても逃れられない不合理な死に具体的に直面したとき、死後でも良いから安泰を願うということについて、迷信や非科学的だといって罵倒する権利はだれにもない。

 

会社をクビになったからといって、それがどうした。

借金が返せないからといって、それがどうした。

だれも殺しには来ないのである。

たとえ貧乏であっても、現代の日本では病気をすれば、だれでも病院で見てもらえる。

なにか失敗をしたところで、身ぐるみ剥がれて極寒に晒され、四肢を失うまでの凍傷になることはないのである。

現代は、ストレスが多い?

冗談じゃない!

だれも殺しに来ないしあわせ、病気をしても病院があるしあわせ、「死」と真正面から向き合わなくても生活できるしあわせ。

「30分後に死ぬ恐怖」

「いまから殺される恐怖」

「あした死ぬ恐怖」

これが日常的にない時点で、それはもう、ストレスは「ない」といっても過言ではないかもしれないのである。

 

なのに人は、それでも現代は地獄であるという。

合理的に考えて、また悠久の歴史から見て、いまのこの日本は「極楽」といって差し支えない。

なのにこれを地獄とするのは、おそらく人間という生き物が「苦を探す存在」だからかもしれない。

日々食うものがあるというしあわせは思いっきり無視をして、農薬や食品添加物が含まれた食品に神経質となり、日本はだめな国だという。

凍死をじゅうぶんに免れる家にいながらにして、志望校に合格できなかった、出世できなかったと文句をいい、泣きわめく。

すべてを放棄して逃げる自由を持ちながら、ブラック企業だの奴隷だのと文句をいう。

そんなにイヤなら学校も会社もやめてしまえば良いのに、なんだかんだと理由をつけてしがみつき、ストレスで心身を狂わせる。

ストレスによる病気や死はかまわないが、経済的な理由による病気や死は決して許容できないというのであろうか?

まったくもって、非科学的で意味不明な行動原理である。

そしてついに、だれも殺しにはこないのに、死ぬ死ぬ死にたい死にたいと軽率に口に出す始末である。

これはその人がバカなのでも、平和ボケをしたのでもないと思う。

人間とはそもそも「苦を探すいきもの」なのだと思う。

人生は苦であるとお釈迦様はいったが、これはあまり正確な表現ではないと思う。

苦を探し、みずから苦に居座りたがるのが人間といういきものなのだろう。

 

まちがいなく、この世はもはや、極楽である。

それを「知る」ためにこそ、歴史を学ぶ必要があるんだと思う。

歴史を学ぶとは年表を覚えることでもなく、政治力学を俯瞰することでもなくて、その当時の人々の「恐怖」を知ることだろう。

そうすれば、如実に思う。

人類は、ほんとうに、ほんとうに、想像を絶するような苦難を乗り越えて生きてきた。

悲劇映画なんぞ足元にも及ばないほど、おそろしい世界をくぐり抜けてきた。

そして見よ、われわれはまさに、彼らの末裔なのである。

われわれは、もれなく全員、勇者の子孫なのである。

これに自信を持つことはあっても、喪失することはあるまい。

歴史を学べば、勇気が湧く。

 

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