朝の「ワーーーーーーー!!!」。
まったく原因不明なんですよね。
べつに急ぐ必要もないのに、急ぐし、あせる。だいぶマシになってきたけど。
「自律神経が……」とか言ったって、じゃかましいわなあ。
呼吸法をしようが、イメージングをしようが、どうしようもないときには、どうしようもないです。
さてそんなソワソワも、ある動きをすることで、結構マシになることを発見しました。
太極拳です。
見よう見まねでやっていると、ふしぎに気分が落ち着いてくる。
で、とにかく手が熱くなってくるんですよね。
こんなもん、筋トレに比べたらぜんぜん体力なんかつかわないのに、なぜかからだか熱くなってきて、しまいには汗出てきます。
筋トレは、むちゃくちゃシンドイわりには、いがいと汗はかかなかったりします。
ふしぎだなあ。
「ゆっくりした動き」
これはやっぱりけっこう、神経の安定によさそうですね。
ゆったり、ゆるゆる、ふんわり、のんびり。
そういえば、そういうのが、ぼくの性格に欠落しているかもしれません。
ていうか、そもそもはそういう人間だったんだけれども、社会の荒波に飲まれていくうちに、ぜんぶ消えてしまったんだ。
前にも書いたことがあるけれど、小学生のころは、チャイム鳴っても教室に帰ってきませんでしたし、
そもそも学校まで走れば30秒でつくところを、ぼくは30分かけて通っていました。いったいなにを、していたんだろう。
べつに「日本の監獄型教育システムへの抵抗」などという、そんな高尚なアレではありませんでした。
ただ、のろまで、バカだったのです。
基本的にぼーっとしていて、時間という概念があまりないガキでした。
無理してるんだと思うんですよね。
ぼくはほんとうは、トロい。超絶的にトロい。
でもそれをそのまま実行すると、みんなから怒られるし、ビンタされるんです。
こわいので、だんだん急ぐようになって、加速していきました。
そして、生きていく上ではじっさい、なんでも速いほうが、都合の良いことが多いんですよね。
速さは、正義。
そんな感じさえ、します。
ごはんを食べるのも、起きるのも、寝るのも、はやいほうがいい。
仕事も、はやく終わらせるほうが優秀といわれる。
リアクションも、あたまの回転も、速いほうがいいといわれる。
レストランも、注文してから料理が出るのに、速いほうが喜ばれます。
Amazonも、翌日配送で売上をあげています。
クルマも、バイクも、パソコンも、自転車も、「はやい」ことを、ウリにしています。
なにをそんなに、急いどるねん。
あほとちがうか。
よくかんがえたら、小学生だったころのぼくのほうが、むしろ正常だったような気もするのです。
学校なんてものは、べつに必ず行かなくたって、ほんとうはいいんですよ。
チャイムが鳴ったら必ず教室に戻るとかも、べつにしなくていいです。
先生は困るだろうけど、ほっとけばいいよ、そんなトロいバカは。べつに危害は与えないんだから。
ごはんを食べるのも、そんなに急がなくていいです。
そんなに急いで移動しなくていいです。
いそぐのは救急車と消防車とパトカーだけでいいです。
「高速教」というカルト宗教に、洗脳されているんだと思うんですよね。
速いことは善であり、義務であり、神である。
遅いことは悪であり、怠惰であり、悪魔である。
戒律には「のろまであるべからず」などと書いてある。
なにをそんなに、急いどるねん。
あほとちがうか。
自律神経失調症も、パニック障害も、「高速教」という邪教の毒素だと思うんだな。
一種の時間病だ。
いいんだよべつに。治さなくても。死なないんだから。
なのに「いいや! こんなものはできるだけはやく、できれば瞬時に、完治させるべきであーる!」などと思う。
ガキのころから急かされて育ったせいで、そんなふうに思ってしまうんでしょうね。
こんな病気は「急ぐ病気」なんだから「はやく治そう」と思うことは、かえって害悪になる。
なのに、急ぐ。
急ぐ、焦る、考える、がんばる。
話はかわるけど、家のズボンのゴム紐を、全部取ってやったんだ。
ワイルドだろぉ?
そのかわり、ヒモで結ぶようにした。
「むすぶひとてま」ぐらい、ゆるしてやろうよ。
人生なんかどうせ壮大なヒマつぶしなんだから、急いじゃったら最後に時間をもてあまして、アタマおかしくなっちゃうよ。よけいなことしだすよ。
めんどうなこと、時間がかかること、急いだらできないこと。
そういうのももうすこしだけ、大切にしてあげたいですね。