ぼくはちっとも悪くはないんだけれども、すこしだけ反省しました。
もっと、ゆっくりいこう。
じつはとうとう、買ったのであります!
トレッキングパンツ。
登山に行くとき、ぼくはいつも「トレパン」でした。
というか登山は好きなくせに「登山専用道具」というのをほとんど持っていない。
最近パニック障害由来の外出恐怖もずいぶんマシになってきていて、「山にいきたい!」と思い始めたので、これをていねいに育てていこうと思っています。
そこで急に山に行くのではなく、トレッキングパンツなるものも揃えて、いろいろと準備して、体力の向上も徐々にやってそれから行こうと決めました。
高いんですよね。
登山道具って。
運動用のズボンに1万円とか、ぼくの中では常軌を逸しています。
しかし今回は本気だし、そんなところでケチるのはやめよう。
思い切ってAmazonで買うことにしました。
ボタンを押すのに、勇気がいりましたねえ。
ロゴがかわいい「マムート」というヨーロッパブランドのトレッキングパンツ。
いちおうオールシーズン対応らしい。
よし、買うぞ、と決めたたものの、しかしふと、
「いや・・・。やっぱりトレパンでもいいのではないか」
などという邪念がよぎり、ガバと立ち上がる。
春の兆しを感じる窓からの景色を数分眺めつつ、思いをめぐらせる。
「いかんいかん。このように、考えたら、だめなんだ」
と思いなおし、座禅をすることにした。
座禅をすると余計な思考がふっとんで、考えがシンプルになるんですよね。
優先順位がつきやすくなる。
そこで10分ほど座禅をしてから再度PCの前に座り、ようやく、「ポチ」。
座禅をしたあとでも欲しかったということは、欲しかったんだなあ。
・・・だけどたかがスボン1本買うのに座禅をするとか、あまり普通ではないかな。
さておき、そんなことで、届いたのです!
トレッキングパンツ。
うほほーい、やったー、とか言いながら袋を開ける。
出してみたところ、
「あれ。なんか大きくない?」
表示を見てみると、注文は「M」だったのに「XL」とあった。
なんとまあ、サイズがちがう!
念の為購入したメールを見てもちゃんと「Mサイズ」とありました。
つまりAmazonさんというか、発送者の間違いなんですね。
XLはいくらなんでもデカすぎるので、Amazonのチャットで聞いてみた。
「サイズ違いだけなんで、返品じゃなくて交換できませんかね?」
すると
「申し訳ありません、もう在庫がないので返品だけになります」
そうかあ。残念。
わかりました、ということで返品処理をしました。
出力した伝票と商品を梱包しなおす。
同時に楽天で探してみたら、まったく同じ商品のMサイズがありました。
なのでさっそく、そっちを購入しました。
あとは、この手元の商品を送り返すだけ。
・・・と思っていたら、メールが届いた。
「このたびはすみません、手違いでした。Mサイズを再送しましたので、XLのほうは同封の伝票と一緒に宅配業者さんにわたして下さい」
え!
いや、「交換できません」て、いったじゃないの!
ていうかもう、楽天で買ってしまったよ!
まだ間に合うかもしれないと思って、楽天のショップに電話してみる。
そうしたら、
「いまちょうど、発送しました」
がーん。
このまま放置したら、ぼくの家にはマムートのトレッキングパンツが3本集まる。
Mが2本、XLが1本。
わしゃタコか!
いらねえよ!
1本でいいよ!
でまたAmazonにチャットしたら、
「わたしのほうから必ず引き取るように連絡しておきます。ショップからのメールをお待ちください」
とのこと。
やれやれ、これでXLのほうを発送するだけで、いったん終わりだな。
と思った矢先、メールがきた。
よしよし、キャンセル了承したっていうメールかな。
「交換品は発送済です」
は?
いや、だから、いらねっつってんの!
どうなってんの?
埒が明かないので、こんどはAmazonに電話をしました。
そうしたら、こだまでしょうか。
「わたしのほうから必ず引き取るように連絡しておきます」
ほんとか?
ほんとうに、ダイジョウブなのか?
心配になるよねえ。
ま、今回の件は、手続きに関してぼくはなんにも悪くないです。
向こうがいったとおりにやったし、そもそも商品を間違えたのはAmazonです。
だから、だれがどこでゴネようとも、絶対に引き取ってもらうけんね。
それはいいんだけど、反省したのです。
「すぐに楽天で同じものを買った」
この「落ち着きの無さ」が、ことをややこしくしてしまったんだなあ。
だってべつに、急いでたわけじゃないもの。
このアクションは、明日でも、明後日でもよかった。
なのについ急いで、楽天で買ってしまった。
このアクションをもし明日にしておけば、「交換品を発送しました」っていうメールは、ぼくにとって僥倖となったわけです。
「なんだ! できないっていってたけど、できるんだ!」
喜びがひとつ、増えたはずなのに。
急いでほかでポチったものだから、あっちも止まらず、こっちも止まらないというパニックになった。
反省したのは、パニック障害の原因のひとつはこういうこともあるんだろうな、っていうことです。
いい風に言えば、動作が速い。
電光石火ともいえる。
しかしわるくいえば、落ち着きがないのです。
やるべき行動をバババババと計算して、速攻でやってしまう。
あともう一呼吸。
あともう数分。
その「余裕」があれば、こういうことにはならなかった。
もちろん、法的なことでいえば、今回の事態の責任はAmazonさんです。
発送を間違えていますからね。
でもぼくが「急いで反応しなければ」べつにふつうの話で終わっていた。
「原因」はAmazonさんにあっても、「ややこしい結果」に持ち込んだのには、ぼくのあわてた行動が関係しています。
あと、もう一呼吸。
あと、もう数分。
待ってから、動こう。
待ってから、考えよう。
そうすることでうまく回ることも、たくさんある。
速いことだけが、いいことじゃない。
これから山登りをするんだ、登山こそ「落ち着いて考え行動する」っていうことが大切。
よくよく、ハラに言い聞かせておこうと思います。
ある 症状について 調べていました。
手術するしかない が ほとんどのなかで
1件だけ
食事や姿勢 運動などの 見直し改善 により
治る 可能性を 説く ところが。
一部の 表層 ではなく
すべて 根底 から
癒やす ということなのかなと。
すこし 希望のようにも おもいました。
そこの いくつか。
https://hisago-hara.com/symptom/autonomic-imbalance/
https://hisago-hara.com/gymnastics-therapy/bow/
ひさご腹 って
てらちゃんの記事で みたよなあ って。
あった …
http://late-amami-8790.pinoko.jp/lookonbright.site/wp/?s=%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%94&post_type=
https://hisago-hara.com/posture/
【まちがった姿勢】に
>そして、呼吸も浅くなり精神的にも余裕がなくなってきます。
とあるのだけれど。
姿勢 どうかなあ。
自分では よく はっきり 認識自覚 出来ていないかもだけれど。
判断 で あわあわ って わたしもというか やりがち だから。
結局 やっぱり… 余裕 無いのかなあ って。
ちょっと そんなことを。(_ _)
っていうか。
ほんと は
すっごい 笑いました。
ごめんね (・ω<);
でも… いつも どこか おもしろくて たのしくなってる …
ありがとう ˘m˘*
姿勢、これは絶対に関係あると思いますよ!
座禅をするようになって調子がいいのも、姿勢が改善してきたことと無縁ではないと思います。
でもぼくがずっと誤解していて、最近気がついたのは、「姿勢がスタートではない」ということです。
整体系の方の話はどうしても「姿勢がスタートである」という論理になってしまうんですよね。
でも実際には、そんなに単純じゃない。
自律神経の失調には確かに姿勢が関係しているけれど、姿勢が悪くなるのには「こころの状態」や「呼吸」、「自律神経の状態そのもの」も深く関係している。
上記のサイトにも書かれていますがまさに「調身・調息・調心」ぜんぶがつながってはじめて良い姿勢になると思います。
そこでまた難しいのが、じゃあどうすれば「調息・調心」ができるのか。
「調息」をするためには、「調心」「調身」が必要で、「調心」をするためには、「調息」「調身」が必要。
「調身・調息・調心」というのは関係性の状態を示すだけの、あまり意味のない方針だと思っています。
できなければ、なにも意味がない。
最近、個人的に感じているのは「姿勢はすべての結果である」ということです。
結果だけをいじりまわしても、あまり意味がない。
わるい姿勢になった原因をていねいにハッキングしていって、もつれた糸をほぐしていく必要があると思います。
だから結局は「こころスタート」なんだろうな、と思うのです。
こころがいきいきしていれば、姿勢も自然とよくなるし、呼吸も深くなります。
姿勢や呼吸といった「からだ方面からのアプローチ」は、あまり功を奏しないことが多いというのが個人的な実感です。
笑うこと、楽しむこと、希望があること、欲があること。
そういったいきいきした心の状態を持ち直すことが、すべてのスタートではないのかな、と考えています。